Furusawa Keisuke's blog

政治から映画、アニメ、将棋まで幅広く語ります。

書評『岩波茂雄 リベラル・ナショナリストの肖像』

僕の父は、書店の店長をしていた。

 

僕が小学生のとき、(詳しい理由は忘れたけど)父は東京の岩波書店の本社を訪れたことがあった。

東京から帰ってくるなり、父は僕にこう言った。

「なぁ圭介、岩波書店というのはな、文部省よりも文部省らしいところだったぞ!」

 この「文部省より文部省らしい」というまことに的確な喩えのおかげで、僕も岩波書店の雰囲気が一発で理解できたのだった。

 

今回ご紹介するのは、そんな文部省より文部省らしい岩波書店の創業者・岩波茂雄(1881-1946)の評伝である。

著者は、政治学者の中島岳志さんだ。

中島さんはこれまで、戦前日本の右翼に関する著作を多く上梓してきた。そのため保守論客と呼ばれることもあるが、僕の理解によれば「保守のこともよく勉強しているリベラルの学者さん」というのが正しいところだろう。

 

本著を読むと、戦前日本の右翼と左翼の間に、実に意外なつながりがあったことに驚かされる。

たとえば岩波が第一高等学校の学生(一高生)だったころ、のちに右翼雑誌『原理日本』を立ち上げることとなる三井甲之も同じく一高生であり、同時期に浄土真宗僧侶・近角常観のもとに通っていたのだという。

後に、岩波書店と『原理日本』が激しく対立した際、岩波と三井は“再会”を果たしている。このときには三井の盟友である蓑田胸喜も加わって、三人で築地にて論争をしたようだ。岩波はこう回顧している。

≪三井甲之君は往年僕の同学年の関係から同君の懇意である蓑田胸喜君を読んで三人で築地の錦水で話し合ったこともある。誤解に基づいて無用の論議に短き人生の尊き時間をつぶすことは御互によくないと思いこの会談を試みたが結局その目的は達せられなかった。[岩波1998・27]≫(147頁)

岩波・三井・蓑田の御三方が築地の料亭で飲み食いしながら論争している様子を思い浮かべると、なんだかおかしくて、笑ってしまった。

 

『原理日本』とはケンカしてしまったが、岩波は一方で、戦前日本の右翼界における大物中の大物、頭山満と親しくなった。頭山といえば、アジア主義を掲げる政治結社玄洋社の総帥である。

頭山は、アジア主義の観点から、日本と中国が争い合う状況に批判的であり、左右の違いはあれど、岩波にとってはむしろ思想的に共感できる相手だったのである。

岩波は『文芸春秋』1940年10月号にてこう書いている。

≪私は、陛下の赤子たる自覚に寸分の動きなき限り、思想が右だとか左だとかいふ区別にあまり関心をもたぬ。右も左も本物は総べて帰一するではないかと思ふ。現代の巨星頭山満翁の如き至誠無私の人格に対しては右も左も等しく頭が下がるであらう。それで私の考へからすると、自由とか統制とか、個人とか全体とかいふことに肩を凝らすよりも、本物か似せ物か、正しいか邪かを明かに区別することが統制にとつても大切なことではないかと思ふ。[岩波1940c]≫(207‐208頁)

 ↑コレ、旧仮名遣いを現代のそれに改めさえすれば、そのまま2010年代の現代でも通用しそうな文章である。

我々はふつう、東西冷戦の終結をもって左右のイデオロギー対立の時代も終わったと考える。だが、戦前からすでに、左右間の交流はあったのである。

 

ーここからはちと話がそれるが。もし頭山と岩波が現代に甦ったとしたら…

おそらく頭山は、「日本はもっと中韓と仲良くするべきだ!」と安倍批判を展開したことだろう。そして岩波が「見てください! 本物の右翼、玄洋社の頭山さんもこのとおり安倍を批判しています!」と同調したことだろう。

…現実の日本でも似たような光景が見られるが。

 

創業当時の岩波書店は、当然ながら現代よりももっと自由闊達な雰囲気であったらしい。

今の岩波はといえば、「文部省よりも文部省らしい」ところであるーあるいは今ならば「文科省より~」と言うべきか。もう一度、創業当時の原点へと立ち返ってみては如何?