Furusawa Keisuke's blog

政治から映画、アニメ、将棋まで幅広く語ります。

書評『教養としてのゲーテ入門』

僕は以前、ドイツの文豪・ゲーテの『ファウスト』を読んだことがある。

もちろん、日本語である(w)。いやぁ~、ここで

「『ファウスト』? ああ、もちろん読んだよ、原著でね(眼鏡クイッ」

とかサラリと言えればカッコイイんだろうけど(w)、あいにくドイツ語は大学時代に第二外国語として学んで、それっきりなので、とてもでないが世界的文豪の代表作には太刀打ちできない。

その点、戦前の高等学校の生徒たちはシェイクスピアゲーテを原著でスラスラ読んでいたというから、ただただ恐れ入る。

話を『ファウスト』に戻す。困ったことに、読んでも読んでも内容がちっとも頭に入ってこない。

ファウスト』は第一部と第二部とに分かれているのだが、第一部のほうは(わりとありがちな)悲恋の話としてすんなり読める。問題は第二部。完全に、アニメでいうところの「超展開」というやつで、そのせいで内容が頭に入らないのだ。

それ以来、僕の頭のなかで「ゲーテ=なにがなんだかよく分かんないオッサン」という悪しきイメージが出来上がってしまった。必然的に、彼の作品も遠ざけるようになった。

 

まるでそんな僕のために書かれたのかと思ったのが(w)、今回ご紹介する『教養としてのゲーテ入門』(新潮社)だ。

著者は、哲学者の仲正昌樹さん。

実をいうと僕は、この仲正さんの大ファン。書店などの本棚を眺めていて「仲正昌樹」の名を目にするや、自動的に手がスーッと伸びてしまう(w)。僕にとって、仲正さんはそんな書き手だ。

 

本著は、タイトルの通り、仲正さんがゲーテについて解説してくれる入門書。

ゲーテ作品というと日本では『若きウェルテルの悩み』『ファウスト』の2作品が有名だが、本著ではそれ以外にも『親和力』『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』『ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代』、そして『タウリスのイフィゲーニエ』が俎上に載せられる。

これらゲーテ作品が各々の章にて解説されるわけだが、仲正さんが本著を通じて最も言いたかったことは、「ゲーテに何を期待すべきか」と題された終章にまとめられている。

ゲーテの何が特別なのか? これまで多くの批評家が様々な説明をしてきたが、私なりにまとめると、やはり「はじめに」で述べたように、「近代」における「人間」の在り方を掘り下げて描くことで、後に続く文学者たちに何をテーマとして追及すべきかその基本的モデルを示したから、ということになるだろう。≫(237頁)

ゲーテは、ヨーロッパの世界観・価値観の大変動の中で、それまで人びとの無意識に潜んでいた欲望がパンドラの箱から解き放たれ、様々なタイプの人間、人間関係が入れ代わり立ち代わり現れてくる過程を、出来合いの物の見方に固執することなく、自らの眼に映るままに素朴に描き続けた作家であると言える。≫(239頁)

僕なりにものすごく大雑把にまとめてしまうと、ゲーテはきっと、「近代というのは、よく分からない時代なんだ。その分からないことを無理に分かろうとしないで、分からないまま耐えろ」と言いたかったのだと思う。たぶん。

これは、実を言うと著者の仲正さん自身がこれまで言い続けてきたことだ。

仲正さんは一貫して、「分かりやすい」言説を批判してきた。

僕たちが暮らすこの世界はものすごく複雑で、分かりにくい。それを無理やり「日本=善、中韓=悪」だとか「野党=善、安倍首相=悪」みたいな単純な二項対立図式にまとめて、それで世の中を分かった気になっている左右両翼を、仲正さんは批判してきたのだ。

分からないことを、分からないまま耐える。

そのことを訴え、かつ実践してきたのが、ゲーテであり、仲正さんだった。

その仲正さんがゲーテの入門書を書くことは、それゆえ、必然であったのだ。