Furusawa Keisuke's blog

政治から映画、アニメ、将棋まで幅広く語ります。

書評『真実の「名古屋論」』

タレントのタモリさんが全国各地をブラブラと歩いてまわる、NHKの教養バラエティー「ブラタモリ」

先日(6月10日、17日)のテーマは、名古屋であった。これがネット上ではずいぶんと話題になった。

なぜか。

じつはタモさん、80年代に、現在の地方イジリ芸の先駆けともいうべき「名古屋イジリ」を主なネタとしており、そのせいで名古屋人からはずいぶんと顰蹙を買っていたからである。

そのタモさんが、なんと名古屋にやって来る!

ネット上では「明治帝の奥羽巡幸や東西冷戦終結にも匹敵する」と、大いに話題になったのであった。

 

そんなこんなで注目を浴びている、名古屋。

今回取り上げる著作は、タイトルもずばり『真実の「名古屋論」 トンデモ名古屋論を撃つ』(人間社)だ。

著者は、評論家の呉智英(くれ・ともふさ)さん。

この呉さん、自ら「封建主義者」を名乗り、「差別もある明るい社会」をスローガンに掲げるなど、なかなかにひねくれた御方である(;^_^A

こうした彼の言説は、戦後民主主義を相対化するものとして、80年代に大いに話題を呼んだのであった。

呉さんはまた、論壇におけるマイスター(師匠)としても、存在感を示している。彼のもとから、浅羽通明さんを筆頭に、大月隆寛さん、そして宮崎哲弥さんなど、多くの評論家が巣立っていったのだ。

そんな呉さんは、名古屋のご出身。生まれも育ちも名古屋という生粋の名古屋人たる呉さんが著したのが、この『真実の「名古屋論」』というわけなのだ。

 

「真実の」名古屋論というからには、当然、「偽りの」名古屋論だってあるわけである。

本著では、「偽りの名古屋論」としていくつかの著作が挙げられ、さらにはその著者の顔写真(!)までもがバッチリ掲載されている。呉先生、なかなかにシビアである(;^ω^)

 

96頁ではさらに、上述のタモさんの「名古屋イジリ」の話も載っている。

≪名古屋の食といえば……海老フライ。と思う人は今ではむしろ少なくなった。事実、そんな統計結果は出ていない。名古屋人は海老フリャーが好きと言い出したのは、タレントのタモリである。一九八〇年前後、ブラックユーモア芸でその人気が全国に広がった頃のことである。海老フライごときをご馳走だと思って喜んで食っている名古屋人、という差別ギャグであった≫(96頁)

似非名古屋弁と聞いて誰もが思い浮かべる「海老フリャー」。アレって、実はタモさんの造語だったんですよ! 皆さん、ご存じでしたか?(僕、知らなかった…w)

≪名古屋人が好むとしたところもなかなかうまかった。失業率の高いさびれた地方都市を差別ギャグでからかったら大問題になるし、被差別部落の食習慣や在日朝鮮人の民族食をからかったらこれも大問題になる。苦情が来ないところをうまく狙ったのは、タモリがこうした事情に通じていたからだろう≫(96‐97頁)

と、呉先生もタモさんを称賛(?)している。「名古屋イジリ」は、綿密な配慮の上に成り立った、絶妙な地方イジリ芸だったのだ。

 

さて、本著を読むと、ふだん我々が伝統だと思っているものは、実はきわめて歴史の浅いものに過ぎなかった、いうことにも気づかされる。呉さんは本著のなかで、そうした実例をこれでもか、と挙げている。

僕にもいくつか思い当たる例がある。呉さんは挙げていないが、仙台の牛タンだってそうだ。「仙台の牛タン」というと、なにやら伊達政宗の時代から食べられていそうなイメージがあるが、意外や意外、仙台に牛タンが普及したのは、実は第二次大戦後のことなのである。

こうした「つくられた伝統」は、結構多い。

伝統は、確かに大切だ。

だがそれが本当に伝統なのか、我々はもう一度検討してみる必要があるだろう。

江戸しぐさ」とか、あったしね。

 

真実の「名古屋論」 トンデモ名古屋論を撃つ (樹林舎叢書)

真実の「名古屋論」 トンデモ名古屋論を撃つ (樹林舎叢書)