Furusawa Keisuke's blog

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書評『「反戦・脱原発リベラル」はなぜ敗北するのか』

先日は、評論家・呉智英さんの著作を取り上げた。

今日は、その呉さんの弟子・評論家の浅羽通明さんの著作を取り上げることとしよう。

『「反戦脱原発リベラル」はなぜ敗北するのか』筑摩書房である。

 

タイトルからして実に挑発的だが、内容はさらに凄い。冒頭から巻末まで、終始切れ味抜群なのだ。

以前、本ブログで取り上げた佐々木俊尚さんの『21世紀の自由論』も、いわゆる日本型リベラルをバッサバッサとぶった斬るという内容で実に爽快だったが、本著はあまりに切れ味が良すぎて、爽快というよりかはむしろ恐ろしさすら感じたほどである。

 

本著は、第1章、第2章、そして第3章からなる3部構成。

第1章では、国会前デモであれほどの人を動員できたにもかかわらずリベラルが原発再稼働を阻止できなかった原因が分析される。

つづく第2章では、やや抽象的で難しいかもしれないが、リベラルの活動家たちが社会のこと(=現に社会が変わるかどうか)を考えているように見えて、実は自分たちの実存のこと(=デモを通じて自分たちが気分爽快になれるかどうか)しか考えていない、という問題が俎上に載せられる。評論家の宇野常寛さんがよく言う「政治と文学の混同」の問題である。

さらに第3章では、これは以前取り上げた浅羽さんの著作とも重なるところだが、日本人がいまだ近代的自我を確立できていないことにリベラルが無頓着すぎる点が批判されている。

どれもこれも、実に示唆に富む論考だ。

 

浅羽さんの文章の切れ味は凄まじいものがある。これは、実際に読んでみたほうがいいだろう。百聞は一見に如かず、というやつだ。

≪日本軍は沖縄県民へ手榴弾を渡し、戦わせようとした。日本軍敗退とともに彼らも米軍に追われて洞窟などへ逃げ、その手榴弾で自害していった悲劇が、映画やドラマでよく知られています。

 しかしね、あの時、これはヤマトンチュの戦争だ。自分たちウチナンチュはヤマトンチュに強制併合された被支配者であるから、ヤマトンチュとともにアメリカと戦う義理はない。

 そう気がついたウチナンチュはいなかったのでしょうかね。(中略)一人もいなかったのなら、私は沖縄人はへたれだと嗤うばかりです。≫(81頁)

 

≪だいたい子どもの素直な感想なんてありえない。あれはどうすれば大人が素直と喜んでくれるかを熟知した子どもが書くものですからね。素直な感想が尊いというのなら、被爆体験の語り部さんを「死にぞこない」と笑った中学生、あれは素直じゃないのか。≫(158‐159頁)

 

≪興味深いことに、座談会「「本当に止める」のフィロソフィ」でSEALDsの奥田愛基氏は、「民主主義国家だから、この国がどうあるべきかってことを、本来われわれが考えなくてはならない。王政だったら任せればいいけど、民主主義だから、めんどくさくてもやんなきゃいけない」と、まさに「である」思考の典型を語っているのです。

 牛田悦正氏もこれを受けて、「それが嫌なら憲法がない、民主主義じゃない国に行ってくれ」と、「である」思考にどっぷり浸かった応答をしているのです。私は開いた口がふさがらなかった。

 憲法がなく民主主義「でない」王政国家だったら、革命で王政を倒して民主主義を実現「する」。それが民主主義者だと思ってましたから。≫(162‐163頁)

 

浅羽さんは、まるでナイフのような鋭い言葉で僕たち戦後ニッポンジンの偽善を斬って捨てる。

つくづく、怖い人だな、と思った。