今日ご紹介するのは、政治学者・中島岳志さんによる評伝『下中彌三郎 アジア主義から世界連邦運動へ』(平凡社)である。
「下中彌三郎? 聞いたことのない名前だなぁ」と思われた方もいるかもしれない。
下中は、現代まで続く老舗出版社・平凡社の創業者。そのため本著を出版したのも、もちろん平凡社である(w
下中彌三郎の生涯は、しかしながら決して「出版社の創業者」という枠には収まりきらない。
本著を読むと、下中の極端なまでの思想遍歴に、ただただ驚かされる。
戦前においては大日本帝国の拡大を訴えるファシスト。戦後においては世界連邦運動を提唱する平和主義者。しかも戦前のなかでも大正デモクラシー期においては、労働運動や自由教育の指導者として活動していたのだ。
良く言えば、柔軟性がある。悪く言えば、無節操。
だが中島さんは、そんな下中の生涯を貫いている、ひとつの理想を見い出す。
≪彼の思想には一貫した揺るぎない理想が流れている。それは人類統一への欲望であり、純粋で神秘的な世界の実現だった。ユートピア的楽土の追求は、生涯を通じて継続している。世界がクライマックスに到達し、人類が苦悩から解放されることを確認している。その具体的な姿は、時に児童の村小学校や、農村自治、アジア主義、八紘一宇、世界連邦と変転した。彼が時代の中で飛びついた構想やモデルは次々に変化したが、希求する理想は一貫していた。≫(357頁)
下中は、したがって保守ではありえない。保守とは理想主義よりも現実主義をとり、急進的な変革を否定する立場だからである。
本著には面白い箇所が多々あるが、そのなかでも個人的に特に興味をひかれた箇所を取り上げる。第一章のなかの、「天皇と平等」と題された節がそれである。
≪彼(註:下中)が、明治天皇に心酔するには理由がある。それは明治天皇によって封建制が打破され、身分社会が解体されたと考えたからである。
(中略)
この天皇制に対する認識は、下中の思想を考察するうえで重要な意味を持つ。彼にとって明治天皇は身分制社会を解放した救世主であり、革命家の如き存在である。天皇を中心とする国体の回復によって国民の平等が保障され、秩序が保たれる。≫(43‐44頁)
戦前の日本社会において、天皇とはいかなる存在であったのか。
もはや我々戦後日本人には理解するのが難しくなっている。
こう言うと黒塗りの街宣車に乗った強面のオジサンたちに叩かれそうで怖いのだが、思い切って言ってしまうと、戦前日本にとっての天皇とは、アメリカにとっての星条旗に相当する存在ではないか。
ただの権威ではなく、革命(=維新)の大義を絶えず国民に再確認させる存在。
そう考えると、右翼団体・玄洋社が「皇室を敬戴すべし」と「人民の権利を固守すべし」を等しく社則の条項に掲げていたのにも納得できる。
天皇は、革命のシンボルだったのだ。