Furusawa Keisuke's blog

政治から映画、アニメ、将棋まで幅広く語ります。

書評『天皇・反戦・日本』

評論家・浅羽通明さんには、どこか“不気味さ”が付きまとう。

彼の師匠である評論家の呉智英さんは、言葉こそ過激だけれどー「差別もある明るい社会」とかねー呉さん自身に対してはむしろ、博識で快活な好人物、といった印象を受ける。

一方、弟子である浅羽さんのほうはというと、どこか得体のしれない怖さ、不気味さを漂わせているのだ。

……いうまでもないことだが、「怖い」「不気味」というのは、物書きにとってはむしろ賛辞にほかならない。

 

今回ご紹介する『天皇反戦・日本 浅羽通明同時代論集 治国平天下篇』幻冬舎は、サブタイトルから明らかなとおり、浅羽さんの政治・時事問題に関する論考をまとめて書籍化したものだ。

浅羽さんの論考は例によってどれもこれも切れ味抜群だがー同時にいくらかの“狂気”も湛えているがー個人的に特に面白いと感じたのが、「祝祭と定常化へ向かう日本ー小泉純一郎政権とライブドア騒動」という論考である。

この論考のなかで浅羽さんは、意外にも民俗学の観点から、00年代の「小泉劇場」と「ホリエモン」を分析している。

浅羽さんによれば、当時もてはやされた小泉純一郎首相やホリエモンこと堀江貴文さんは、改革者ではなく、ゼロ成長時代の今日において余剰生産物を蕩尽してみせるトリックスターとして理解できるという。

彼らはたとえば、ギリシャ神話におけるヘルメスだとか、日本神話におけるスサノオだとかいった、神話の世界のなかで大騒ぎをもたらすイタズラ者たちに相当するのだ。

ところが現代人である我々は、あまりにも近代という枠組みにとらわれ過ぎたために、彼らの本質が民俗学的な意味でのトリックスターであることに気づかず、改革者として理解してしまったのだ、と浅羽さんは言うのである。

 

僕はこうした浅羽さんの論考を面白いと思うと同時に、他の政治現象の分析にも民俗学の視点が役に立つのでは、と考えてみた。

例えば、安倍首相のやることなすこと何もかもが憎いという、いわゆる「アベノセイダーズ」

安倍首相に対する彼らの憎悪は、もはや常軌を逸しているとすら言える。安倍首相は、欧米基準ではリベラルの政策とされるリフレーション政策を採用しており、同一労働・同一賃金など労働者のための政策もちゃんと進めている。増税・緊縮財政一辺倒の民進党なんぞよりも、よっぽど労働者のためになる政権なのである(いやマジで)

ではなぜ、かくも嫌われるのか。それは、安倍首相が(上に述べたような意味で)左翼的でもあるということが関係しているのではないか。

これは「右翼にお株を奪われた」というのとも、また少し違う。

安倍首相は、既存の右翼と左翼のカテゴリーの、ちょうど境目にいる存在なのである。

民俗学において、境目にある存在というのは、これすなわち妖怪である。

妖怪は、昼と夜の境目である夕暮れ時ないし明け方に現れることが多いとされる。また出没場所に関して言えば、空間の境目や接点である橋や辻などに現れることが多いという。

既存のカテゴリーの境目にいる(がゆえにどちらのカテゴリーにも分類できるし、また分類できない)存在を、我々人間は妖怪と呼んで怖れてきた。いわゆるアベノセイダーズが安倍首相に対して、ほとんど生理的とすら言っていいほどの強い嫌悪感を露わにするのは、もしかしたら安倍首相が民俗学でいうところの妖怪的存在であるからではないのか。

……とまぁ、これはあくまでも僕個人のアイデア。浅羽さん自身はこんなことは一言も言っていないので、皆さまくれぐれもご注意を。(;^_^A