Furusawa Keisuke's blog

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書評『今こそルソーを読み直す』

哲学者・仲正昌樹さんの『今こそ○○を読み直す』あるいは『いまこそ○○に学べ』は半ばシリーズ化されている観があり、これまでに『今こそアーレントを読み直す』、『いまこそハイエクに学べ』、『いまこそロールズに学べ』など複数の著作が刊行されている。

 

今日ご紹介するのは、『今こそルソーを読み直す』(NHK出版)

タイトルから一目瞭然だが、18世紀フランスの思想家ジャン=ジャック・ルソーに焦点を当てた著作である。

 

本著を読むと、ルソーのイメージがかなり変わってくる。

ルソーとは、いかなる人物だったのか。

プライベートでは超がつくほどのド変態だったわけだが詳しくはこの本を読んでね思想の世界では、これは一般の人には意外と知られていないのだが、全体主義の元祖ともみなされてきたのである。

ルソーの思想の中核ともいえるのが、「一般意志」(general will)という概念である。

ものすごーく大雑把に言ってしまえば、「みんなの意志」という意味だ。この「みんなの意志」を重視するルソーの思想は、知らず知らずのうちに人々を全体主義へと導く――後世の思想家たちから、こう批判されてきたのだ。

仲正さんは、しかしながら本著のなかで、ルソーの一般意志概念のなかに全体主義の萌芽があるというのは、あくまでルソーより後の時代の思想家たちの誤解にすぎない、ルソー本人の思想には全体主義の要素は見られない、と反論している。

ルソーを批判した著名な思想家としてハンナ・アーレントを挙げることができるが、このアーレントによるルソー理解にも誤解があった、と仲正さんは指摘しているのだ(203頁)

 

仲正さんがアーレントを批判しているのには、いささか意外、という感じがした。

仲正さんは元来、ドイツ・ロマン派の思想が専門である。その仲正さんがフランスの思想家であるルソーを本のテーマに取り上げるというだけでも意外という感じがするのに、さらに仲正さんがこれまで割と好意的に紹介してきた感のあるアーレントを批判してルソーを擁護するというのは、これまた意外に感じる。

 

本著のあとがきを読んで、少しばかり驚くと同時に納得した。

仲正さんは、ルソーが好きだったのだ。

ちょっと長くなるが、以下に引用してみよう。

≪私はしょっちゅう関心が変わる人間なので、ずっと関心を持ち続けている思想家というのは、ほとんどいないのだが、ルソーは例外中の例外である。『社会契約論』でのルソーの議論の進め方が――高校の教科書などから受ける印象と違って――きわめてシャープで、印象深かったということもあるのだが、どうもそれだけではないような気がする。

 思想家に対する思い入れなどあまり持たない私には珍しいことに、個人的にルソーに深く“共感”しているようなのだ。

(中略)

 どうしてルソーに“共感”しているのか改めて自問してみると、結構複雑な要因が絡み合っているような気もするのだが、敢えて一言で表現すれば、終章で論じた、「透明と障害」という問題に集約されるだろう。スタロバンスキが描くルソーのように、私はコミュニケーションが苦手な人間であり、自分の“真意”を伝えようとして挫折した体験が、物心付いた時から数限りなくある。私の中に印象の強い思い出のほとんどは、誤解され、理不尽な扱いを受けて苛立った思い出である。そのせいで、かなりの人見知り、というより人間嫌いになっている。

(中略)

 そういう「私」だからこそ、無駄な努力だと分かっていながらも“透明なコミュニケーションを再生するためのエクリチュール”を生産し続けたルソーに“共感”するのだろう。≫(248‐250頁)

仲正さんのいう「自分の“真意”を伝えようとして挫折した体験」は、僕自身にも、それこそ数限りなくある。そんな僕は、したがってルソーに“共感”する仲正さんに“共感”するのである。

僕はこれまでルソーに対しては、申し訳ないけど「あぁ、あの変態さんね」程度の印象しかもたなかった。

しかし仲正さんという「媒介」を得たことで、僕のなかでにわかにルソーへの関心が高まりつつある。

今度、ルソーの本、読んでみようっと。

 

今こそルソーを読み直す (生活人新書)

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