Furusawa Keisuke's blog

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書評『ネオ東京裁判』

経済評論家・上念司さんと憲政史家・倉山満さんの名コンビによる対談「説教ストロガノフ」シリーズ。

先日は『「日本の敵」を叩きのめす!』を取り上げたが、本日はこの『ネオ東京裁判 掟破りの逆15年戦争(PHP)を取り上げることとしよう。

上念さん、倉山さんのふたりが、先の「15年戦争」を振り返り、当時の日本政府がとった選択を容赦なくダメ出ししていく、という内容だ。

 

気になるのは、サブタイトルの「逆」15年戦争

普通、歴史を振り返る際には、時間の流れに従っていくものだが、本著が面白いのは、まず敗戦直前の1945年夏からはじまって、そこからどんどん時間を遡っていくところだ。

そうして「○○年○月の時点では、日本に何ができたのか。どのような選択をすれば、日本は戦争を優位に進められたのか(あるいは戦争を回避できたか)」をふたりが議論していくのである。

うまい構成だ。

末尾になるにつれて情勢が絶望的になっていくと、読んでいるこっちのほうまで気が滅入ってしまう。反対に、時間を遡っていくと、日本を取り巻く情勢がだんだんと明るくなっていく。日本がとれる選択肢が豊かになっていく。

希望が生まれるのだ。

 

本著のなかでクソミソに酷評されているのが、近衛文麿。上念さんに至っては≪近衛の話をした日は、本当に一日じゅう身体の具合が悪くなる≫(119頁)ほどだという。

そういえば、文芸評論家・福田和也さんの著書『総理の値打ち』のなかでも、近衛には最低点がつけられていたのを思い出す。

近衛がダメなのは、無責任なところである。すぐに仕事を投げだす。ポピュリストであり、確固たる信念がない。

稀に見る無能宰相である。近代日本史のなかで最も無能な首相を挙げろ、と言われれば「戦前近衛、戦後鳩山」といった具合になるだろう。

戦前のことなどよく分からないという方でも、「あの鳩山とどっこいどっこい」と言われれば、「あぁ、あのヘンのレベルなのか。そいつぁひでぇや」とご納得いただけるはずである。

 

上念さんと倉山さんの対談が面白いのは、なんだか大学のサークル棟でオタク系サークルの部員同士がダベっている感じがするからだ(実際にこのふたりは中央大の先輩後輩の間柄である)

前回取り上げた『「日本の敵」を叩きのめす!』では、『銀英伝』の話題だけで延々3頁にも及んでいた。

一方、本著ではそこまで話が脱線することはない。それだけマトモな著作だとも言えるが、あの脱線ぶりが楽しみだった僕としては、いささか欲求不満であった…w(;^_^A

 

上念さん、倉山さんのふたりは、もちろん愛国者である。

だが本著では、戦前日本の無能政治家、無能軍人たちが、これでもか、というほどに容赦なくこき下ろされている(近衛とか近衛とか近衛とか)

愛国者であるはずのふたりがここまで日本の政治家をボロクソに批判するのを見て、読者の皆さんは意外に思われるかもしれない。

だが、それは違う。ふたりは愛国者「であるがゆえに」、過去の無能政治家たちを糾弾しているのである。

上念さんはこう言っている。

≪我々はある種、後知恵で批判しているわけですが、でも、こういうことをしっかりやっておかないと、同じことを繰り返すからいけないんです。過去を全面肯定してはいけない。≫(185頁)

上念さんの意見に、まったくもって同感だ。

保守派はよく「ご先祖様を敬いましょう」と言う。

たしかに、今、我々がこの世にいられるのは、ご先祖様たちが夜な夜なセックスに励んでくれたおかげだ。

だがそのご先祖様とて、人間である以上、当然間違いは犯すのである。

我々がすべきは、かつて先祖たちが犯した過ちをよく検証すること、そしてそれを将来の子孫たちのための教訓とすること、である。

それこそがむしろ、愛国者の本当になすべきことなのだ。

 

ネオ東京裁判

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