Furusawa Keisuke's blog

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書評『Nの肖像』

哲学者の仲正昌樹さんは、かつて統一教会の信者であったことで知られている。

そんな仲正さんが、自らの統一教会時代を振り返った回顧録が、今回ご紹介する『Nの肖像 統一教会で過ごした日々の記憶』双風舎だ。

 

仲正さんは、寂しい幼少時代を過ごした。

怪我が原因で足に障害があり、そのことで周囲の子供たちからは笑われたという。ひどいことには、普段「差別は良くありません」とあれほど言っている学校の教師ですら、仲正さんの障害を笑ったのだという(ありそうな話だ)

しかしながら学問には秀でていた仲正少年は、東大へと進学する。が、はじめて暮らす東京の地で、周囲に友達は少なく、仲正さんはここでも孤独を余儀なくされる。

そんな仲正さんに声をかけてきたのが、統一教会だった…。

 

仲正さん自身は、学生運動よりも後の世代に属すが、このテの話は学生運動時代には意外と多かったらしい。

田舎から東京の大学に進学したはいいが、周りに知人も友人もおらず寂しい思いをしている学生のもとに、中核やら革マルやら、はたまた民青などが声をかけてきて「ねぇ、一緒に鍋なんかどう?」と誘うのだ。そうして一緒に鍋を囲いながら、学生をオルグ(勧誘)するのである。

 

統一教会オルグされた仲正さんは、ひとりの信者として、教会の研修施設などで他の信者らとともに修行を行った。

本著では、一般社会にはあまり知られていない、統一教会の修行内容や内部事情などが克明に描かれており、大変に興味深い。本著は、したがってルポルタージュとしても価値が高いのだ。

修行に励む仲正さんであったが、もともと人づきあいがあまり好きではなかった彼は、周囲の信徒たちと対立するようになり、次第に教会上層部にも反発するようになった。

最終的に、仲正さんは統一教会を脱退、ドイツ思想の研究者として人生をやり直すこととなる。

 

僕はさすがに新興宗教に入信した経験こそないものの、仲正さんの青年時代は僕のそれと似ている点が意外と多く、驚いた。

仲正さんは最初、理系コースで東大を受験し合格したが、やがて理系は性に合わないと感じ、文系コースに切り替えたのだという。僕も、理系の学部に進学したものの、結局は挫折し理系エリートの道をあきらめた人間なので、仲正さんの気持ちがなんとなく分かる気がするのだ。

仲正さんが統一教会時代、教会傘下の新聞社で記者として働いていたという点にも、親近感がわいた。実を言うと僕も一時期、ある政治団体の発行している機関紙の記事を書く仕事をしていたからである。

 

仲正昌樹はかつて統一教会の信徒だった」

そう聞かされると、(僕のような)彼の熱心な読者たちは驚いてしまう。「えぇ!? あんなに頭のいい人が、どうしてよりにもよって、あんなカルトに…」と。

だが、そもそも「カルト」って、何なのだろう。

本著終盤にて、仲正さんはカルトとは何かについて考察している。

これを読むと、カルトという言葉が、巷間での理解とは違って、そう簡単には定義できないこと、したがって統一教会を単純にカルトと斬って捨てることはできない、ということが分かるのである。

 

仲正さんの著作はどれも、いろいろと考えさせられるものばかりだが、本著はとくにそうであった。

…まぁ、僕は統一教会には入信しませんけどね。

 

Nの肖像 ― 統一教会で過ごした日々の記憶

Nの肖像 ― 統一教会で過ごした日々の記憶