Furusawa Keisuke's blog

政治から映画、アニメ、将棋まで幅広く語ります。

書評『「空気」の研究』

本ブログでは以前、評論家・山本七平さん(1921-1991)の著作を取り上げたことがある。

本著『「空気」の研究』文芸春秋もまた、山本七平さんによる著作である。

タイトルのとおり、日本社会につきまとう「空気」について分析した論考だ。

 

「空気」は、先の大戦において日本社会を強く呪縛し続けた。

日米開戦前夜、実をいうとだれもが対米戦争は無謀だと内心では思っていた。それでも結局開戦に踏み切ってしまったのは、「空気に抗えなかった」からである。

これと同じことが、実は戦後日本にも当てはまるのだ。

その例を山本さんは本著でいくつか挙げていくのだが、21世紀の今日においても同様の例は見出せる。

僕の理解によれば、たとえば消費増税に向けた圧力が止まらないのは、財務官僚が「空気に抗えない」からである。

 

こうした意味での「空気」というのは日本独自のものかと思いきや、山本さんによると古代ユダヤ社会にもこれに相当する概念はあったのだという。ヘブライ語の「ルーア」だ――日本語では「霊」と訳される。

旧約聖書において「霊」という言葉が出てきたら、それは幽霊のことではなく、現代日本でいうところの「空気」、と考えて差し支えないようだ。

ところがユダヤ人がスゴイのは、その「霊」(=空気)による支配に抗う術を見い出したことである。

それは一体なにか。答えは本著を読んでからのお楽しみ、である♪

…一方、ユダヤ人ほど賢くない我ら日本人は、相変わらず「空気」に支配されつづけているというわけだ。

 

本著は、記述がいささか抽象的で分かりづらい箇所もあるものの、全体的に極めて説得力ある議論が展開されている。

ただ、本著を読んでいて「玉に瑕だな」と思ったのは、喩えがいささか古風なため、現代の読者にとってはかえって分かりづらいことである。

たとえば文中、「シベリア天皇」なる言葉が何の説明もなく唐突に出てくるが(110頁)、今日の若い読者にとっては「シベリア天皇」なんて言われても何のことだかサッパリだろう。刊行当時としては分かりやすい表現だったのだろうが、今日においてはかえって分かりづらいものになってしまっている。皮肉なことだ。

 

とはいえ、本著の核心部分は決して古びてなどいない。むしろ本著を読むと、昔と今とで日本人の行動パターンがまったく変わっていないことに、ただただ驚かされる(この点、丸山真男『日本の思想』と似る)

本著では、例えばイタイイタイ病の原因とされるカドミウムに対して、日本人が非合理的なまでの恐怖を抱いていることが述べられるが、この議論は「カドミウム」を「放射能」と置き換えてしまえば、現代の福島原発の問題にもほぼそのまま通用してしまいそうである。

 

評論家・山本七平は1991年に没したが、その思想は彼の死から四半世紀以上も閲した今日もなお、生き続けているのである。

 

「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))

「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))