Furusawa Keisuke's blog

政治から映画、アニメ、将棋まで幅広く語ります。

書評『アンベードカルの生涯』

ここ最近、日本の行く末を憂いてばかりいる。

こうした憂国の情は、ただちに身体に変調をもたらす。

具体的に言えば、躁鬱、不眠、軽度の下痢などの症状に悩まされている。

「えーっ!? 国を憂うあまり病気になるなんて、ありうるんですかー?www」と嗤う人は、真剣に国を憂いた経験のない人である。

そんな僕にとって、この時期にこの本と出会えたことは、まさに僥倖としかいいようがなかった。

 

本著『アンベードカルの生涯』(光文社)は、20世紀インドの政治家ビームラーオ・アンベードカル(1891‐1956)の評伝である。

彼は不可触賤民の階級に生まれ、社会からの激烈な差別に苦しめられながらも、奮励努力して政治家となり、インド憲法の制定に関わった。今日では「インド憲法の父」としてあがめられている。

「不可触賤民」という言葉について、もう少し解説が必要だろう。インドのカースト制度において、最下層に位置づけられる人々である。日本の被差別部落に相当するものと考えても良いかもしれない。いやもっとひどいかもしれない。その差別は、井戸水を利用することすら禁じられるという徹底したものだからだ。

アンベードカルは、不可触賤民として周囲の人々から忌み嫌われながらも、苦学して社会の上層へと駆け上がっていくのである。

 

やがて政治家となり、インド民衆を導くリーダーのひとりとなった彼の前に立ちはだかったのが、かのマハトマ・ガンディーである。

ガンディーは、近代インド史における不世出の英雄として、今日までひろくあがめられている。

ところが本著を読むと、ガンディーの、一般的なイメージとは異なる一面が見えてくる。

簡単にまとめると、ガンディーとアンベードカルには、プライオリティ(優先順位)の相違があった。不可触賤民の解放よりもインド独立のほうに重きを置くガンディーに対し、アンベードカルは独立よりもむしろ不可触賤民の解放をこそ重視したのだ。ガンディーは不可触賤民の苦しみに、相対的に鈍感であった。

本著で描かれるガンディーの言動を見ていると、率直に言って、彼は政治家には不向きだったのではないか、との疑念をぬぐえない。精神的な指導者、カリスマではあるがーマハトマとは「偉大な魂」という意味であるー政治家に求められる客観的な現状分析などの能力に欠けていたのではないか、と思われるのだ。

対してアンベードカルには、政治家としての実務能力があった。彼は、生涯最大のライバル・ガンディーとしのぎを削りながら、近代インドのために邁進していったのである。

 

彼の努力は実を結び、インド独立は成り、憲法も制定された。

そんな彼にとって、最後の大仕事となったのが、仏教への改宗であった。

インドは仏教発祥の地であるにもかかわらず、ヒンドゥー教イスラーム教などにおされ、ついに仏教はすたれてしまった。しかしアンベードカルは、この仏教こそ、カースト制度に基づく差別から不可触賤民を救ってくれる宗教だとして、晩年に仏教へと改宗したのである。多くの不可触賤民たちもまた、彼にならって仏教へと改宗した。今日では、インドにおける仏教徒の数は、1億人を超えたという。1億人といえば、仏教国である日本の人口とさして変わらない。

インド仏教は、力強く復活を遂げたのだ。

 

今、日本には多くの難題が山積している。

だがそれをいうなら、アンベードカルが生きた時代のインドもまた、いやそれ以上に数多くの難題に直面していたのだ。

さまざまな逆境を超人的な意志の力で克服したアンベードカルの生涯は、したがって現代日本に住む我々に、勇気を与えてくれるのである。

 

アンベードカルの生涯 (光文社新書)

アンベードカルの生涯 (光文社新書)