Furusawa Keisuke's blog

政治から映画、アニメ、将棋まで幅広く語ります。

書評『太陽を曳く馬』

高村薫『太陽を曳く馬』。

 

普段、小説をあまり読まない僕が珍しくこの本を手に取った理由ーーそれは、評論家・宮崎哲弥さんの対談集『宮崎哲弥 仏教教理問答』のなかで、本著がたびたび言及されていたからであった。

「どんな小説なんだろう? あの宮崎さんが持ち上げるくらいだから、きっとなにかものすごい本に違いない」

そう思った僕は、今回この本を手に取ってみた。そういう次第だ。

 

本著は、実は単発の作品ではない。

『晴子情歌』、『新リア王』に続く、三部作の完結編、という位置づけである。

もっとも、これらの著作を読んでいなくても、気にせず本著を読み進めてもらってかまわない。本著はひとつの小説として完結しているからである。

 

2001年、秋。世間が9.11テロに震撼するなか、主人公・合田刑事はふたつの難事件に直面する。

ひとつは、ある芸術青年の引き起こした連続殺人。容疑者の青年は、先天的に他者や外界を認識する能力に難があった。そのため、物証はあるものの、動機を解明することができない。

裁判の過程で、容疑者青年の知人である芸術関係者たちが多数登場し、証言をする。これらは容疑者青年に関する証言というよりかはむしろ、現代アートについての講釈と言っていいほど、高度な内容のものである(僕には何が何だかサッパリだった)

もうひとつの事件は、都内の、ある禅寺に関するもの。癇癪の持病のあった修行僧の青年が寺を抜け出し、交通事故死してしまう。捜査に取り掛かった合田刑事は、その過程で徐々に「仏の世界」へと足を踏み入れていく…。

 

舞台である禅寺は、作中では単に「禅宗」とのみ記されているが、僧侶たちの対話中さかんに道元の名やその著書『正法眼蔵』が言及されることから、曹洞宗であることは明らかである。

本著下巻では、その曹洞宗の僧侶たちが、ひたすら議論を繰り広げる。議論の内容はおもに、オウム真理教の教義を曹洞宗の観点から論駁していく、というもの。

 

この場面には、圧倒されられる。

 

正直に白状すると、僕には議論の内容のほとんどが、理解できなかった。

読んでいるうちに、頭のなかが真っ白になってくる。脳が、使用されるのを拒否している、といった感じだ。あるいはこれこそ、禅の境地、というものなのだろうか(いや、それはないか)

小説といえども物語である以上、このような難解な禅問答はふさわしくないようにも思える。しかし作者は一切の遠慮なく、僧侶たちの問答に多くのページを割いているのだ。

かつてアニメ監督・押井守は、娯楽性を一切無視して、ひたすら難解な哲学的対話の続く『イノセンス』というアニメ映画を作った。本著を読みながら、僕は『イノセンス』を見たときのことを思い出していた。

 

仏教を扱った小説としては、三島由紀夫豊饒の海』などが挙げられるが、本著は他のどんな仏教小説にも引けを取らず、また深い。『宮崎哲弥 仏教教理問答』によると、本著は刊行時、日本仏教界を震撼させたらしい。それもうなづける。

作者の高村薫さんは、おそらく本著の執筆に際し、相当なまでに仏教の経典と格闘したに相違ない。作家の貪欲なまでの知的好奇心、探求心にただただ頭が下がる思いである。

 

本著のおかげで、最近僕のなかで高まりつつあった仏教への関心に、ますます火が付いた。

とりわけ曹洞宗について、もっと勉強したいと思った。

実を言うと、僕の家系は、父方、母方ともに曹洞宗である。なんだ、灯台下暗しとはこのことか。

 

太陽を曳く馬〈上〉

太陽を曳く馬〈上〉

 
太陽を曳く馬〈下〉

太陽を曳く馬〈下〉