Furusawa Keisuke's blog

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書評『畏るべき昭和天皇』

評論家の松本健一さん(1946-2014)は、戦前右翼を自らの主要テーマに選んだ、いささか変わり種の評論家であった。

本著『畏るべき昭和天皇毎日新聞社は、松本さんの昭和天皇に関する論考をまとめて一冊の書籍としたものである。

 

昭和天皇の、一体どこが「畏るべき」なのだろう。

戦後生まれの人々にとっては、昭和天皇は「おじいちゃん」という印象が強いだろう。

1988年、昭和天皇が病に伏せた際には、「天皇がかわいい」からという理由で病気平癒を願う記帳所を訪れた若い女性もいたと聞く。それだから、「畏るべき」という形容詞が、いまいちピンとこない。

 

「畏るべき」は「厳しい」と同義なのだろうか。たしかに、昭和天皇にはそういう一面もあった。

戦前の、若い頃の昭和天皇は、非常時にあっては断固、自らの意志を主張したという。

その声は、良く通る、はっきりとしたものだった。

昭和天皇を題材としたロシア映画『太陽』では、イッセー尾形演じる昭和天皇は口をモゴモゴさせながら喋っていたが、松本さんは、それは老年になっての喋り方であって、若い頃はむしろ明朗な喋り方であったことを、史料を挙げながら指摘している。

 

このような昭和天皇の「厳しさ」は、しかしながらひとつの側面に過ぎない。

では「畏るべき」なのは何か。

松本さんは、それは包容力である、としている。

 

昭和天皇は、かつての敵軍の将・マッカーサーにも会った。かつての血盟団事件のテロリストにも(たまたま)会った。

会って、彼らを「あ、そう」のひとことで包摂してしまう。松本さんは、そこに昭和天皇の「畏るべき」包容力を見るのである。そしてそれは、天皇個人というよりはむしろ、天皇制というシステムそれ自体が保持してきた包容力なのだ、とも。

この包容力こそ、天皇制を2000年にもわたって存続させてきた、最大の秘訣だったのである。

 

誤解しないでほしいが、この包容力は、「あいまい」というのとは、また違う。

マッカーサーとの会見において、昭和天皇は、戦争の責任は自分にあるとした(と松本さんは考える)

実際にこの国の針路を狂わせた原因は、かなりの程度、元首相の近衛文麿にあるにもかかわらず、である。

近衛は最後まで無責任だったがーこれは上念司さんはじめ多くの論者の指摘するところであるー昭和天皇はそうではなかった。そして、そんな昭和天皇は絶えず、多くの他者たちを包摂してきたのである。

 

松本さんは、2014年、がんのためこの世を去った。68歳だった。

今どき、まだ死ぬような年齢ではない。

優れた知性の、いささか早すぎる喪失が悔やまれる。

 

畏るべき昭和天皇

畏るべき昭和天皇