Furusawa Keisuke's blog

政治から映画、アニメ、将棋まで幅広く語ります。

書評『死にたくないが、生きたくもない。』

僕は元来、後ろ向きの人間だ。

間違いなく、積極的に人生を謳歌する、というタイプの人間ではない。

どちらかと言えば、厭世的な人間なのだと思う(家に引きこもってるのが好きだし)

「もう生きているのもバカらしいなぁ。さっさと死んじゃったほうがいいのかもしれないなぁ」と思うこともあれば、その舌の根も乾かぬうちに「…とはいえ、やっぱ死ぬのも億劫だなぁ。あ~、生きてたい」と思うこともある。

なんともイーカゲンな話で恐縮だが、そもそも人間って、そういうものなんじゃないのか。

 

…僕はこんな人間だもので、本著のタイトルを見た瞬間、ビビビッときた(←松田聖子か)

本著『死にたくないが、生きたくもない。』幻冬舎は、評論家の小浜逸郎さんによる著作である。

 

本著で小浜さんが述べていることを一言でまとめるとするなら、「“生き生き”への違和感」、とでもなるだろうか。

現代人は、“生き生き”が大好きだ。

歳をとっても生き生き。何歳でも生き生き。

現代社会において、生き生きは、ほぼ無条件に肯定される。生き生きという言葉を否定的な意味で用いる人は、圧倒的に少数派だろう(※)

※その数少ない例が、哲学者の仲正昌樹さんであろう彼は、例えば、誰に頼まれたわけでもないのに勝手にデモに参加して「安倍ファシスト政権にNO!」とか言って噴きあがるイタい活動家のことを「生き生き人間」と呼んで侮蔑の対象としている。

 

小浜さんは、しかしながら、本当にそれでいいのか、と問いかけるのだ。

彼は、生き生きを称賛する世の風潮ーたとえばアンチエイジングだとか、(先日亡くなってしまったけど)日野原重明さんの言説だとかーに批判的である。

「枯れる美学」、とでも言えばいいのだろうか。年老いた人間は無理して生き生きを追求しようとするのではなく、ある程度の衰退を受け入れるべき、というのが小浜さんの主張なのだ。

 

こう書くと、「なんだ、随分と後ろ向きの主張だなぁ」と反発する人もいるかもしれない。そういう前向きな人たちは、べつにこれまで通り、生き生きを追及すればいいのだ。

だが、世の中には後ろ向きの人間だっているのである(たとえば僕みたいな)

そういう人間にとっては、つねに生き生きを追求しろ、というのは呪縛ですらある。「人間、歳を取ったら衰えていいんだよ」と言われることで、かえってホッとするのだ。

 

……最後に誤解のないよう付け加えておくと、これは「もう日本は成長しないんだから、これからは衰退を受け入れていきましょう」という昨今流行り(?)の言説とは、似て非なるものである。

個人レベルの問題と国家レベルの問題を混同してはならないーこれは国債の問題に関しても言えることだ

個人と国は異なる。個人は衰退してもべつに構わない。が、国は成長してくれなければ困る。

 

小生は、死にたくないが、生きたくもない。されど日本国は生きなければならぬ。

 

死にたくないが、生きたくもない。 (幻冬舎新書)

死にたくないが、生きたくもない。 (幻冬舎新書)