Furusawa Keisuke's blog

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書評『不可触民と現代インド』

本ブログではこれまで、『アンベードカルの生涯』『破天』などの著作を取り上げてきた。

これらはいずれも、インド文学者の山際素男さん(1929-2009)が手掛けた本である。

より正確に言えば、『アンベードカルの生涯』は、インド人の伝記作者が著したものを山際さんが日本語に翻訳したもの。『破天』は純然たる山際さんの著作だ。

今日ご紹介する『不可触民と現代インド』(光文社)もまた、山際さんの手によるノンフィクションである。

 

タイトルにある「不可触民」なる聞き慣れない言葉について、少々解説が必要だろう。

周知のように、インドには今日もなお、カースト制度と呼ばれる身分制度が存在する。大きく、ブラーミン、クシャトリヤ、ヴァイシャ、シュードラの四階級に分けられるが、実はその下にさらに「不可触民」(untouchable)なる階層が存在するのである。

 

本著の冒頭は、実に衝撃的だ。

かつて、山際さんがインドに留学していたときのこと。彼を乗せた車が歩行者を轢いてしまった。

山際さんは青ざめたが、運転手はじめ周りのインド人たちはケロリとした顔でそのまま車を走らせてしまった。

つまりは、ひき逃げだ。どうしてそんなことが許されるのか。

それは、被害者が不可触民だったからだ。

山際さんがこの話を周囲のインド人たちにしても「ああ、不可触民で良かったね」といった反応ばかり。実際、この“事件”は捜査も報道もされなかったという。

山際さんがインド社会の暗部を知った瞬間だった。

 

インドでは21世紀の今日もなお、カースト制度が社会全体に暗い影を投げかけている。

上述のブラーミン、クシャトリヤ、ヴァイシャの三階級は上位カーストと呼ばれるが、インドの総人口のたった15%を占めるに過ぎない彼ら上位カーストたちが、司法界やマスコミなどを牛耳っているのである。

特にマスコミが支配されているのは大きい。インドのマスコミは、したがってカースト差別などのニュースを伝えたがらないという。

マスコミが、真実を伝えない! まるでどこかの国のマス“ゴ”ミのようだ。

 

本著では、様々な顔ぶれの人々が登場する。

たとえば、不可触民に生まれながらも苦学してエリートとなった人々。彼らはほぼ例外なく、アンベードカルを深く尊敬し、仏教へと改宗して幸せに暮らしている。彼らは実に明るく力強く、アンベードカルが説いた仏教の理念を語る。葬式仏教に堕した日本の仏教界とは大違いだ。

このほかにも、ブラーミンの家系に生まれながらもカースト制度を強く憎み、ついには仏教へと改宗した医師や、カースト差別と性差別という二重の差別に苦しみながらも苦学してエリートとなった女性などが登場する。

だが読者に最も強い印象を残すのは、ダコイット(群盗)の元頭領で、後に仏教に改宗してその指導者となったアーナンダ・デオ師だろう。あの佐々井秀嶺さんの親友でもある。

彼はダコイットになる前は「サズゥ」と呼ばれる放浪者であった。

「どうしてそんな生活をしていたのか」と問う山際さんに対し、彼はこう答える。耳を傾けてみよう。

≪楽しいからやっていたのさ。わしは子供の頃から詩を作るのが好きだった。音楽もだ。自分で作曲してその詩を歌うのさ。サズゥというのは、世捨人だから自然に何人かが寄り集まって群れになる。その連中も一緒に歌いながら旅をつづけるんだ。気楽なものだよ。

 家族を抱え、食うこと、着るもの、出世のことなんかに気を使ってあくせく生きるしかない生活にはまりこむから人生が暗く見えるんだ。

 それに、この国の一ついいところは、わしらみたいな放浪者を犬猫みたいに扱わない。それどころか、敬ってくれるんだ。悪いことをする奴もいるけれど、サズゥは世俗の世界を捨て、自由な天地をこの世で見つけ出している人間だと思ってくれてるんだな、きっと。信仰心の篤い、ということを信じてくれているのかね≫(146頁)

もちろん、サズゥにはサズゥなりの苦労があるのだろう。だが、彼らの生き方は、僕たち日本人になにがしかの“開(解)放感”を与えてくれるのである。

 

本著では様々な階層、性別、年齢の不可触民たちが登場するが、彼らの心のよりどころとなっているのが、アンベードカルである。

彼は今日もなお、生きているのだ。

 

不可触民と現代インド (光文社新書)

不可触民と現代インド (光文社新書)