Furusawa Keisuke's blog

政治から映画、アニメ、将棋まで幅広く語ります。

書評『保守の心得』

都内のライブハウス・阿佐ヶ谷ロフトAでのこと。

保守系トークライブに参加していた僕の視線は、ひとりの登壇者にくぎ付けになった。

おそろしく弁が立ち、眼鏡の向こうの眼はギラギラと輝く。全身から、異様なまでの存在感が放たれている。

……それが、憲政史家・倉山満さんとの出会いであった。

 

本ブログではこれまで、倉山さんと(彼の大学の先輩でもある)経済評論家の上念司さんの対談本「説教ストロガノフ」シリーズを取り上げたことがある

今回ご紹介するのは、倉山さんの単著『保守の心得』(扶桑社)だ。

タイトルのとおり、保守派に求められる基本的な見識、心構えなどについて倉山さんが論じた著作である。倉山さんの本を読んだことがないという人にとっては、「倉山満入門」に最適の一冊かもしれない。

 

他の保守論客と比較した場合、倉山さんの最大の特徴として、「経済政策の重視」を挙げることができるだろう。

とりわけ、20年近くこの国を苦しめてきたデフレからいかに脱却するかに、倉山さんは大きく関心を寄せている。

概して、保守の人たちは経済の問題を「ゼニの話だなんて…」とバカにする傾向が強い。

ゼニなどについて語るのは卑しい。国士たるもの、ゼニの問題から離れて、天下国家について論じねば、という風潮がかなり強くあるのだ。

デフレに対する危機感が希薄である。それでいて「中韓に舐められるな!」と絶叫する。

たしかに、中韓に舐められないよう毅然とした態度をとることは大事だろう。

そのためにもっと軍備を増強すべし、軍事費を増額すべし、という主張も首肯できる。

が、その軍事力の基盤となるのは、いやそもそも国力そのものの基盤となるのは、経済力に他ならないのである。

 この国の経済力は、いわゆる「失われた20年」によって相当弱体化してしまっている。したがって、真にこの国を憂うのであれば、まずやるべきは経済を立て直すことーー具体的には、リフレ政策の導入によってデフレ状況から脱却することなのである。

倉山さんは、そのことをよく理解している。「所詮ゼニの話なんて…」とバカにしない。

僕はそこに、倉山さんの良識を見るのである。

 

この他、本著を読んで僕が個人的に思ったこと。

倉山さんは、保守が守るべきは天皇である、という。

そして、たとえ社会が変わったとしても――倉山さんによれば、保守とはある程度の変化を受け入れるスタンスのことである――天皇がおわすかぎり、この国は変わっていないと言えるのだという。

日本の保守としては実に真っ当な見解だが、僕はこの考えをさらにラディカルに発展させてみたい。

天皇の存在は、社会の変革を願う革命家ーーこの言葉が不穏だというなら、もっと穏当に「社会改良主義者」とかでもいい――にとってはまことに好都合ではなかろうか。

つまり、天皇がいてくれるおかげで本当は変わっているのに何も変わっていないと言い張れるからこそ、何もかも変えられるのである。

「なにを馬鹿な!」と思われるかもしれないが、現にこれを実行した例が、薩長のエリートたちによる明治維新ではなかったか。明治維新によって断絶してしまった伝統は多い。

意外にも、天皇主義者は保守というよりかはむしろ、革命家と言ったほうが近いのかもしれない。

…あっ、これはあくまで僕個人の考えね(w

 

経済政策、天皇の話のほかにも、本著では「政党の近代化」の問題や、外交、さらには憲法改正の問題まで俎上に載せられる。

まさに保守のテーマ全部盛り、といった趣き。

うん、やっぱり本著は最良の「倉山満入門書」だね。

 

 

※もっとも、本著を読んでいて僕は、倉山さんのささやかな勘違いをひとつ見つけてしまった(;^_^A

≪たとえば、フランス革命がどれほど狂っていたか。「一年が三百六十五日というのは不合理だ。しかも四年に一度閏年がある。理性に従い、一年を十か月、ひと月を三十日、一週間を五日にしよう」と言いだして、本当に実行してしまいました。世界史の教科書に「革命暦」などと書いてあるのが、これです。≫(24‐25頁)

フランス革命暦でも、一年は12カ月である。革命暦は、ひと月を30日とし、一週間を10日としたのである。一週間を5日としたのは、フランス革命暦ではなく、ソビエト連邦暦のほうだ。

倉山さんは博識すぎるせいで、これらふたつの暦を混同してしまったのだろう。

 

保守の心得 (扶桑社新書)

保守の心得 (扶桑社新書)