Furusawa Keisuke's blog

政治から映画、アニメ、将棋まで幅広く語ります。

書評『教養としての10年代アニメ』

21世紀も17年目に突入した昨今、アニメはもはや、一部のマニアックな人々向けの特殊な趣味などでは、断じてなくなった。

今や、アニメがきっかけで中心街に活気が戻った!と喜んでいる地方自治体すら存在するほどなのである(例:我が郷土、静岡県沼津市

したがって、本日ご紹介する書籍『教養としての10年代アニメ』ポプラ社のタイトルを見ても、アニメが「教養」とされていることに疑問を覚える人は、もはや少ないであろう。

 

著者は、文芸評論家の町口哲生さん。

近畿大学の講師でもあり、本著は彼の大学での講義をまとめて一冊の書籍にしたものである。

特筆すべきは、この講義の受講条件。なんと「週20本以上アニメを見ること」だったというからお笑い…じゃなかった(w)、驚きである。

「え!? 週20本もアニメを見る人なんているの!?」と愕然とする非ヲタの方もいらっしゃることだろう。ごもっともだが(w)、本当に熱心にアニメを見る層は、週20本くらい平気で見ているものなのだ。

僕自身、かつてはそれくらい見ていた。最近では時間の無駄になるので、やむを得ず週10本程度にとどめてはいるけれど。

 

本著の内容は意外にも、なかなかに高度である。

「単なるアニメの入門書でしょ」と侮って本著を紐解くと、結構痛い目に遭うだろう。

 

本著は、3つの章で構成される。

第1章「自己と他者」では、『魔法少女まどか☆マギカ』を嚆矢とするいわゆる「絶望少女モノ」のほか、「中二病キャラ」や「残念キャラ」などが登場するアニメ作品が俎上に載せられる。

これらは総じて、若者の自意識の問題、とまとめることができる。

続く第2章は、「ゲームの世界」。『ソードアート・オンライン』など、ゲームの世界を舞台にしたアニメが取り上げられ、ゲームにおける想像力がいかに昨今のアニメ、そして社会に影響を及ぼしているかが説明される。

最後の第3章は「未来社会の行方」。『とある科学の超電磁砲』の舞台として登場する架空の未来都市「学園都市」が、いい意味でも悪い意味でも、来たるべき未来社会のモデルとして語られるのである。

 

本著を読んでいてつくづく思い知らされたのは、まさにタイトル通り、これからの未来社会について考える上で、アニメは極めて重要な教養のひとつだということである。

「しょせんサブカルチャーなんて…」と馬鹿にする人は、少なくなったとはいえ、まだこの国にはいる。「若者はアニメなんぞにうつつを抜かしておるからけしからん。若者はもっと政治について考えなければ…」と勝手にお説教を始める年配者も、まぁ昔に比べれば減ったものの、まだいることはいる。

…ちがうのだ。政治について、社会について考えようというのであればなおのこと、サブカルチャーを、アニメを、見なければダメなのである。

この国において、サブカルチャーはつねに、来たるベき未来を先取りしてきた。

先日、本ブログにてハリウッド実写版をご紹介した攻殻機動隊』などは、その典型と言っていいだろう。

同作において描かれている義体化技術は、今日、トランスヒューマニズムと呼ばれ、AI人工知能とならんで、21世紀の世界を大きく変革する技術として熱い注目を浴びているのだ。

 

アニメから学べることは、多いのである。

もっとも、さすがに週20本まで見る必要はないけれど(w

 

(117)教養としての10年代アニメ (ポプラ新書)

(117)教養としての10年代アニメ (ポプラ新書)

 

 

この本もオススメ! BOOK GUIDE

・『一〇年代文化論』講談社

10年代サブカルチャーの本質は「残念」にあり、と見たユニークな論考。『教養としての10年代アニメ』のなかでも本著が参照されており、『教養~』と合わせて本著を読むと、とりわけ若者の自意識の問題について、より理解が深まることだろう。

著者の名前に注意。「さわやか」じゃないよ。

 

一〇年代文化論 (星海社新書)

一〇年代文化論 (星海社新書)