Furusawa Keisuke's blog

政治から映画、アニメ、将棋まで幅広く語ります。

書評『老師と少年』

本ブログではここ最近、曹洞宗の僧侶・南直哉(みなみ・じきさい)さんの著作をやや集中的に取り上げてきた。

今日ご紹介する『老師と少年』(新潮社)もまた、南さんの著作のひとつである。が、これまでとはかなり毛色の異なる作品だ。

これまでの著作はみな、論書であった。本著は違う。物語なのである。

 

ある少年が、ひとりの老師と知り合った。

少年はひどく死を恐れており、周囲からは変わり者とみなされ、疎んじられてきた。

少年は、経済的には不自由のない生活をしているのに、いったい何が不満なのか、と周囲から問われてきた。だが老師は、「生きる上での苦しみ」と「生きる苦しみ」は違う、と述べ、少年に理解を示す。

少年は、ようやく良き理解者を得たのである。

 

少年と老師との問答は7つの章にまとめられており、それぞれ「第○夜」とタイトルがつけられている。

 

第四夜から、老師は少年に、自らの過去を語りはじめる。

老師もまた、かつては少年と同じく、死をひどく恐れる子供だったのだ。

少年時代の老師は、自らの師を求めつづけた。

彼が最初に出会った聖者は、狂信的なキリスト者を思わせる人物であった。聖者は<神>にすべてを委ねることを求めたが、少年時代の老師にはどうしてもこの<神>を信じることができなかった。

次に彼は、ニヒリスティックな仏教徒を思わせる隠者と出会う。が、この世のすべては虚無だと語る隠者に、少年時代の老師はこれまたどうしても、ついていくことができなかったのである。

 

そんな彼にも、ついに人生の師と出会うときが訪れた。

ある日、彼の前に<道の人>(=道元?)なる人物が現れる。

<道の人>は言う。

 

「自分を脱落せよ。ならば問いは消滅する」

 

この言葉で彼は救われた。そして長じて老師となり、主人公の少年と出会ったのである。

 

最後の問答(第七夜)に至ってついに、ふたりの対話は核心へと迫る。そして、その問答を最後に、老師は少年のもとを去り、旅に出るのである。

 

老師はおそらく、著者・南さんの分身であろう。では、少年は…?

おそらくは、本著を手に取った青少年の読者たちの分身なのだろう。

本著は、したがって南さんから、人生に悩み苦しむ青少年たちへと宛てられた、メッセージなのである。

 

老師と少年 (新潮文庫)

老師と少年 (新潮文庫)