Furusawa Keisuke's blog

政治から映画、アニメ、将棋まで幅広く語ります。

書評『日本の危機管理は、ここが甘い』

なにかと「ネトウヨ評論家」と叩かれる(w)、経済評論家の上念司さんによる著作である。

 

本著前半部分では、政治と経済における「素朴理論」の批判に、多くのページが割かれている。

「素朴理論」とは何ぞや。

例えば「円高は、世界から円の価値が認められているという証左なのだから、日本にとっては誇るべきことであり、良いことなのだ!」といったような、一見すると正しいように思えるが実は大間違い、という考え方のことである。

こうした素朴理論として上念さんは、

・設計主義

・エリート無謬説

農本主義

重商主義

・技術立国主義

・資本収支幻想

財政均衡主義

・通貨高=国力幻想

の8つを挙げている。上3つは政治に関する、下5つは経済に関する素朴理論だ。先に挙げた「円高は~」は、一番下の「通貨高=国力幻想」に分類される。

ここで、「設計主義」と「農本主義」のふたつが素朴理論として挙げられている点に留意してもらいたい。

これは実は、上念さんによる戦前右翼批判なのである。

 

設計主義とは、「誰か頭のいい人たちが社会を設計してくれれば社会はよくなる」という発想のことで、そのわかりやすい例が共産主義である。この場合、「誰か頭のいい人たち」は「前衛党」と称されることが多い。

だが実は、共産主義だけではない。戦前の「右翼」と呼ばれた人たちのなかにもまた、こうした設計主義の発想にとらわれていた人たちがいたのだ。

超国家主義者」と呼ばれる人たちがそれである。

上念さんは本著のなかで、共産主義者のみならず、こうした超国家主義者もまた批判の対象としているのである。

 

もうひとつの農本主義については、以前、本ブログにて取り上げた『血盟団事件』でも出てきた。

ごく簡単に言ってしまえば「農業が大事! 農業ファースト!」という思想のことだが、これが行き過ぎると「農業こそ本当の産業であって、それ以外は仮の産業にすぎない!」という、資本主義否定の発想へと行き着く。

上念さんは、この農本主義も素朴理論だとして否定しているのだ。

戦前の日本では、これら農本主義者と超国家主義者とが合流した、という点も見逃してはならない。これについても、上述の『血盟団事件』を参照のこと。

 

では、設計主義の対極にある概念は、何か。

上念さんは、保守主義だという。

と言われても、おそらく多くの人々にとっては、そもそも保守と右翼の違いからしてよく分かりません、という話だろう。

一般の人々が抱いているイメージは、黒塗りの街宣車に乗って軍歌を大音量で流すはた迷惑な人たちが右翼で、それをもうちょっと穏健な感じにしたのが保守、といったものであろう。

だが、両者の間には質的な違いがある。「絶対に正しい理念」など無い、と言うのが保守なのである。

保守は、絶対に正しい理念などあるはずがない以上、社会的な問題の解決策は自由な議論を通じてこそ決定されるべき、と考える。

上念さんは、いわゆる「ネトウヨ」でもなければ、戦前におけるような意味での右翼でもない。

上念さんは、保守の人なのである。

 

本著後半部分では「騙しのテクニック」として、現代日本において増税キャンペーンを展開している人々が、具体的にどのような手法で自らの訴えを日本社会に広めているか、その手口が解説されている。

とても勉強になる。

僕はもちろん増税キャンペーンに反対の立場だが、だからこそ彼らの手口を学ぶ必要があるのである。

敵を倒すには、まず敵を知ることから、だ。

 

さて、本著を読んで、個人的に面白いと感じたのは、以下の箇所である。

素朴理論を信奉する人を説得するにはどうすればいいか。上念さん曰く、

≪例えば、「弱い者いじめはいけない」といった素朴理論を逆用して、「増税は弱い者いじめだ。特に今のように景気の悪い時に増税する首相は悪代官だ」といった新たな素朴理論を構築してみるなどの工夫が必要でしょう。こういったテクニックを使い、「つかみ」のところで笑わせたり、共感を得たりしながら、最後に彼らの間違いに気づかせることで、少しずつ素朴理論の洗脳は解けていきます。≫(131頁)

この言葉は、深い。

素朴理論を批判することは簡単だ。が、実際に素朴理論の“信者”になってしまっている人には、残念ながら、そうした批判の声が届くことはない。

彼らに批判の声をちゃんと届けるためには、こちらもあえて素朴理論をぶつける必要がある――上念さんはそう言うのである。

ここから先は僕の個人的な意見であることをあらかじめ断わっておくが、上念さんが、少なくとも表面上は、いわゆる「ネトウヨ」っぽいことを言うのも、実はこれが理由なのではあるまいか。

ネトウヨを批判したところで、彼らからは「なんだと、この朝鮮人め!」とレッテルを貼られて終了である。批判の声が彼らの耳に届くことはない。

上念さんは、そんな彼らを善導すべく、あえて「ネトウヨ」的な言説を採り入れているのではないか――僕にはときおり、そう思えるのである。