Furusawa Keisuke's blog

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書評『賭ける仏教』

本ブログではこれまで、曹洞宗の僧侶・南直哉(みなみ・じきさい)さんの著作を多く取り上げてきた。

今回ご紹介する『賭ける仏教』(春秋社)もまた、南さんによる著作である。

 

……いや、「南さんの著作」と言い切ってしまって、はたして良いものかどうか。

というのも、実を言うと本著、対談の形式をとっているのだ。

対談は、ある寺の「和尚」と、そこに足しげく通う「IT企業の青年経営者」との間でなされているという設定である。

かつて『老師と少年』で小説に挑んだ南さん。本著の対談も、すべて南さんひとりの手による創作、なのだろうか?

……いやいや、「和尚」はどう考えても南さんご本人としか思えないし、「IT企業の青年経営者」はその博識ぶりといい口調といい、どこかアノ人と似ている気がするのだが……

 

「和尚」と「青年経営者」、ふたりの仏教問答は、深い。

とりわけ深いのが、第3章だ。ふたりは<言語>について考察を進めていくのだが、その内容が実に奥深く、読んでいて圧倒されてしまう。

う~む、この青年経営者、やっぱり、ただ者じゃないぞ。(;^ω^)

 

南さんは、やはり曹洞宗なだけあって、ことあるごとに開祖・道元禅師(1200‐1253)を称賛している。

「あ~、南さん、曹洞宗のなかではアウトサイダー扱いされてるらしいけど、なんだかんだでやっぱり、道元さんのことが好きなんだな~」ということがよく分かり、ほほえましいとすら思える。

もっとも、当の本人は≪いやあ、でもねえ、正直にいうと、実際に生きている禅師に会ったら、私は必ずしも好きにはなれないだろうなぁ。作法に対する言及など何かパラノイアックなところがあって、一緒に生活するのはつらい気がする≫(111頁)だなんて言っているけれども。

……おっと、いけないいけない、本著は南さんではなく、あくまで「和尚」と「青年経営者」の対談であった(w

 

さて、本著で個人的に一番面白く感じられたのは、低俗と思われるかもしれないが(w)、「修行と性欲について」と題された第5章であった。

このなかで、南さん……じゃなかった、「和尚」は、こう述べている。

≪私は永平寺に入って三年目だったか四年目だったか、完全禁欲をやってみたことがある。仏陀の定めた戒律のとおりにマスターベーションも禁止。これは絶望的に辛かった……。

(中略)意識的に抑えこもうとすると、逆に四六時中、春の木の芽時状態になってしまう。これはもうマスターベーションは仕方がないと諦めたね。≫(174頁)

あの南さんが、(*´Д`)ハアハア言いながらオ○ニーしている姿を思い浮かべると、それだけでなんだか笑えてしまう。……あ、いけない。南さんじゃなくて、あくまで「和尚」でしたね。まったく、メンドクサイなぁ……。

 

最後の第6章では、曹洞宗の総本山・永平寺の驚くべき実態が明かされる。

何がどう「驚くべき」なのか。

あまりにも、世俗化されているのだ。

本来、仏教の僧たるもの、生涯結婚してはならないはずである。イエ制度に縛られてはいけないはずである。

ところが、現在の永平寺では、ほとんどの僧侶が妻帯しており、結婚していない僧侶はむしろ「修行オタク」だとみなされ、さげすまれる(!)傾向すらあるというのだ。

永平寺に入門してくるのも、そのほとんどは寺の跡取り息子ばかり。

一般家庭から出家して生涯仏道を歩もうとする(本来あるべき)仏教僧は、永平寺に一生留まることができない、というなんとも本末転倒な事態になっているというのだ。

そのため、永平寺に一生は居られないのだと悟った南さん……じゃなかった「和尚」は、最終的に、気になっていたある女性と結婚することにしたのだという。このあたりの逸話はなんともおのろけなので、皆さんもぜひ読んでみてほしい(w

 

それにしても、日本仏教とは一体何なのか、とあらためて考えさせられる話だ。

南さん――じゃなかった! 「和尚」! 「和尚」!――は、なにも曹洞宗の僧侶全員が未婚で通す必要はないから、せめて何十人かのエリート修行僧が生涯独身で過ごせる修道院的な修行道場を曹洞宗のなかに設け、彼らを妻帯の僧侶たちがサポートし、かつ一般社会との仲立ちをする、というアイデアを提案している。

検討に値する案だと思うのだが、さて皆さんはどう思われるだろう。

 

……うーん、あのォ~、本著ってやっぱり、南さんと誰かさんの対談なんじゃないんですか?

その答えは、巻末のあとがきのなかにあった。

≪本著は、実を言えば、私個人の著書ではない。この本の原型は、ある人物との対談である。相手は今やもっとも活躍はなばなしい評論家の一人で、しかも、自らを仏教者(「仏教信者」ではない)と名乗る、私の知る限り唯一の評論家である。

(中略)

 結論を言うと、これ(註:徹底的に原稿を見直すこと)が殺人的に忙しくなった彼には、ついにできなかったのである。

(中略)彼と出版社から思わぬ申し出があった。惜しい原稿なので、私の著作に模様替えして出版しようというのである。≫(275‐276頁)

あぁ、やっぱり、アノ人だったんですねw(にっこり

 

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