Furusawa Keisuke's blog

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書評『おてらくご』

「おてら」(お寺=仏教)と「らくご」(落語)をかけた、一風変わったタイトルの本である。

著者は、浄土真宗僧侶にして宗教学者でもある、釈徹宗さん。

 

「うーん、『おてらくご』なんていうくらいだから、難しい仏教の教えを、分かりやすい落語のかたちにした本なのかな~」と思っていた。

まぁ確かに、後半部分は仏教と関連の深い落語が紹介されているので、あながち間違いでもないのだが――本著にはこの落語を収めたCDも収録されています――それだけではなかった。

本著前半部分では、釈さんが中近世の日本における芸能と仏教の関係について、なかなかにアカデミックな話を展開しているのだ。ここでは釈さんの、仏教者というよりかはむしろ、宗教学者としての顔のほうが前面に出ている印象を受ける。

 

落語の歴史を語るうえで重要なキーパーソンが、『醒睡笑』の著者、安楽庵策伝である。

安土桃山時代から江戸時代初期を生きた彼は、「落語の祖」と呼ばれているのだという。

≪なぜ策伝が“落語の祖”と呼ばれているのでしょうか。その大きな理由として『醒睡笑』という著作を残していることが挙げられます。これは、策伝が小僧の頃から長年にわたって蓄積してきた「おかしい話」「味わい深い話」を、全八巻の大著にまとめた「お話集成」本です。

 例えば、寺院での説法の際、あまり仏教の教義ばかり聞かされると、ついつい退屈したり、眠くなったり……。今も昔も変わらぬ光景ですね。そこで、少しおもしろおかしい小話を語って、善男善女をリラックスさせる。そしてまた仏法へと話を導いていく。これもまた、今も昔も変わらない話法です。(中略)最後に落ちがつく小話が多く、日本の「落とし話」の形態はこの本によって確立したという説もあります。≫(30頁、太字部分は原文では傍点強調)

意外や意外! 落語の起源は、お坊さんの法話にあったのだ。

そういえば、本ブログでもおなじみ、曹洞宗僧侶・南直哉(みなみ・じきさい)さんは、まるで落語のような面白い法話をするのだそうである。

昔にもきっと、南さんのように話のうまいお坊さんがたくさんいたのだろう。

 

もっとも、説法と落語には違いもある。釈さんは言う。

≪しかし、立ち位置が違います。お説教は伝道であり布教であり説法です。それに対して、落語はそんな態度を揶揄するポジションにあります。そしてそのような芸能が発達するには、宗教を笑えるほどの成熟した宗教性が必要です。そして宗教を笑えるというのは、とても幸せな状況なのだろうと思います。≫(46頁)

落語を伝統芸能にまで昇華させ、さらにはイエスブッダをネタにした『聖☆おにいさん』なる漫画まで存在する現代の日本は、ある意味ではとても幸福な国なのかもしれない。

 

釈先生による“講義”は、長々と続く。「え~、そろそろ落語を聞きたいよ~」としびれをきらしているとようやく、後半から仏教落語が紹介される。なかなかに、うまい構成だ。

上述のとおり、本著にはCDも付属されているので、興味のある方はぜひ一度聞いてみるとよい。

 

それにしても、仏教はやっぱり、日本という国に根づいているのだなぁ、とあらためて実感した。

仏教は、難しい。それを、たとえば落語のような分かりやすく面白いかたちに加工して、ようやく大衆に根づかせることができたのだろう。

これまでに多くの仏教者たちが、大衆に仏の教えを広めるべく、頭をひねりにひねったに相違ない。

そんな彼らの努力の集大成が、今日の仏教であり、落語でもあるのだ。

 

おてらくご (落語の中の浄土真宗)

おてらくご (落語の中の浄土真宗)