Furusawa Keisuke's blog

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書評『日蓮「立正安国論」 全訳註』

正直に白状してしまうと、日蓮には、これまであまりいい印象を持っていなかった。

まず、鎌倉仏教のなかで一番“DQN”だったのが日蓮宗、というイメージがある。そのうえ、その日蓮宗から分かれて生まれたのが、例の某新興宗教、ときている。

こうしたことから、今までどうしても、日蓮および日蓮宗には、あまりいい印象を持てなかったのだ。

とはいえ、日蓮(宗)について正確な知識を持ち合わせているわけでもない。やっぱり、「食わず嫌い」はよくないだろう。

それに、石原莞爾はじめ戦前の右翼の人たちの多くが熱心な日蓮主義者であったことを思えば、やはり一度は日蓮に向き合わないとだめだな、と思った。

 

というわけで、本日取り上げるのは『日蓮立正安国論」 全訳註』講談社である。

日蓮の書いたテキスト『立正安国論』を歴史学者佐藤弘夫さんが現代語訳し、解説も付したものだ。

立正安国論』は、時の権力者・北条氏がモデルとおぼしき「客」と、日蓮がモデルと思しき「主人」の僧侶との問答、という形式をとっている。

客は、念仏宗の熱心な信者であるが、主人は空気を読まずに――あるいは読み切ったうえであえて?――その客の目の前で、念仏宗の祖・法然をdisってしまう。当然客はブチ切れるが、主人は落ち着いた態度で自らの考えを語って聞かせる。客も次第に態度を軟化させていき、しまいにはついに日蓮の支持者となるのであった。めでたく折伏完了!というわけだ(w

 

さて、本著を読んで、僕は日蓮についてある重大な誤解をしていたことに気づいた。

てっきり、日蓮法華経だけを信仰せよと言っているのだと、僕は思っていた。まぁ、最終的にはそういう境地に至るらしいのだが、実は『立正安国論』を執筆した時点では、日蓮はまだそこまでには達していなかった。当時の彼は、法華経以外の他の経典、他の修行法も尊重したうえで、念仏“だけ”を重視する法然を批判していたのだ。

つまり、念仏“だけ”にこだわる法然は偏狭であり、自分日蓮こそが伝統仏教の守護者なのだ、と彼は言っているのである。

これは、意外だった。

上述の通り、僕には「日蓮は偏狭」というイメージがどうしてもあったからだ。ところが、すくなくとも出発点においては、彼はむしろ寛容を重んじる立場から、偏狭な(とすくなくとも彼が考えていた)念仏宗を批判していたのである。

 

いや~、日蓮の印象が変わりました。やっぱり、読んでみるもんだね。

 

日蓮「立正安国論」全訳注  (講談社学術文庫 1880)

日蓮「立正安国論」全訳注 (講談社学術文庫 1880)