Furusawa Keisuke's blog

政治から映画、アニメ、将棋まで幅広く語ります。

書評『善の根拠』

本ブログではこれまで、曹洞宗の僧侶・南直哉(みなみ・じきさい)さんの著作を数多く取り上げてきた。

断言しよう。今回ご紹介する『善の根拠』講談社は、そんな南さんの最高傑作である。

 

本著の目的は、仏教の立場から「善」を再定義することにある。

そのためにまず、南さんは自己を「他者に課せられた自己」と定義するところから始める。

よく不良少年が言う「うるせえ! 産んでくれなんて頼んでねーだろ!!」という言葉に端的に表れているように、我々は皆、望んで生まれてきたのではない。我々の生は、他者から課せられたものである。その事実を受け入れるところから、すべてが始まるのだ。

南さんは続いて、曹洞宗の最重要経典『正法眼蔵』の「受戒」の巻にて取り上げられている、仏教の戒律「菩薩戒」の解釈に入る。

これが面白い。一見、古臭い、無味乾燥とした戒律が、まるで南さんによって命を吹き込まれたかのように、にわかに光を帯びはじめ、現代に生きる我々にとっての問題に答えてくれる、アクチュアルな教えへと生まれ変わるのだ。

※もっとも、南さん本人は、これはあくまで「私の善悪についての考え方を示す方便」に過ぎないと断り書きをしている。本著に述べられているのはあくまで南さん個人の見解であって、仏教界全体でコンセンサスを得られている考えではない、ということだろう。

 

さっそく、個々の戒律について見ていこう。

まず、「不殺生」(殺してはならない)という戒律。この不殺生の対象には、自分自身も含まれる。というか、自分自身をこそまず第一に考えなければいけないのだ。

自殺は、それ自体は悪ではない。だが、いったん自殺をしないと決めた以上は、同様に他殺もしてはならない。なぜか。

仏教では、自己は単独で存在するものではないと考える。これが、仏教の「縁起」という発想だ。上述のとおり、自己は「他者に課せられた自己」である以上、自己と他者は密接に結びついており、切り離して考えることはできない。自分を殺すということは、したがって自分と密接に結びついている他人をも殺すということなのだ。

20世紀の哲学者・ヴィトゲンシュタインは、「自殺が許されるなら、すべてが許される」と言った。

もちろん、すべては許されない。だから彼は自殺に反対したのである。

僕はこれまで、彼の言葉の意味がイマイチよく分からなかった。なんだ、自殺したいなら他人の迷惑にならないかたちでひっそり死ねばいいじゃんか、と思ってきた。

本著を読んで、ようやくヴィトゲンシュタインの言いたかっただろうことが、分かったような気がした。

 

続く「不偸盗」(盗んではならない)の戒律についての南さんの解釈が、また面白い。

南さんはこれを、資本主義が前提としている私有財産制度を否定するもの、と解釈するのだ。

なんとも話が大きくなってきたが、南さんの「不偸盗」解釈からは、現行の資本主義のシステムを超越しうる、新しい社会思想の可能性すら感じられる。

哲学者の柄谷行人さんは、互酬、略取・再配分、商品交換などの既存の交換様式とは異なる、財の交換の新しい様式「交換様式X」を称揚している。そしてそれは、歴史的には宗教というかたちをとって現れてきた、とも言っている。

本著を読んで、そんな柄谷さんの「交換様式X」の議論を思い出したのだった。

 

本著は、二部構成である。

前半では上述のとおり、南さんが仏教の戒律を再解釈し、善悪についての自らの考えを明らかにしている。

率直に言って、難解である。僕の出来の悪い頭脳ではどうしても、100%の理解には至ることができない。今回の書評にも、もしかしたら南さんの思想を誤解してしまっている箇所があるかもしれない。本著に興味を持ったという方は、どうか自分の目で直接、本著を読んでみてほしい。

さて、後半では一転、本著は対談の形式をとる。これは、南さんとその弟子の禅僧との間でなされたやりとりをベースにした、疑似的な対談であるらしい。

ここでは、前半と同じ内容の話がもう少し、言葉を補いながら再度解説されていく。おかげで、すこしは分かりやすくなった。とはいえまだ難解であるが……。

ここでも、ネグレクトも含む児童虐待尊厳死安楽死ヘイトスピーチ……等々、すぐれてアクチュアルなテーマが語られる。仏教は決して死んだ教えなどではない、今日でもなお、生きた教えなのだと実感させられる。

 

以前、本ブログにてチェコのプロテスタント神学者・フロマートカの著作を取り上げた。単なる学問としてのキリスト教神学ではなく、この現実世界で苦しんでいる人々のことを第一に考えた彼は、したがって「実践する神学者」と呼ばれた。

僕には、そんなフロマートカと南さんとが、重なって見える。フロマートカに倣って言えば、南さんはきっと、「実践する仏教者」なのだろう。

 

善の根拠 (講談社現代新書)

善の根拠 (講談社現代新書)