Furusawa Keisuke's blog

政治から映画、アニメ、将棋まで幅広く語ります。

2018年1月のまとめ

気候

今年の冬は、いつになく寒い。大雪も降ったし、なにより気温がものすごく低い。寝ていて、寒さのあまり目が覚めてしまうことが、何度あったことか。

毎年、このクソ寒い1月になるたびに思う。どうして1月が一年の始まりなのか。

「何言ってんだ、“1”月なんだから当たり前のことじゃないか」と皆さん思われるかもしれないが、いやいや全然当たり前なんかじゃない。

日本人は「1月、2月」と数字で呼んでしまうからいけないのだ。欧米では"January, February"とすべての月を固有名詞で呼ぶ。 Januaryが1月である必然性は、実はないのだ。

その証拠に、古代ローマでは当初、Marchが年初、すなわち1月とされていたのである。以下、September――ラテン語で「第7の月」の意――は7月であり、December――ラテン語で「第10の月」の意――は10月であった。ところが時代が下るにつれて、Januaryが年初とされるに至ったのだという。

ローマ人に文句を言ってやりたい。どうしてこんなクソ寒いJanuaryなんぞが年初なのか。これじゃあ「迎春」もくそもあったもんじゃない。

 

政治

新年早々、ネット上でごうごうたる非難を浴びることとなったのが、お笑いコンビ「ウーマンラッシュアワー」の村本大輔氏である。

彼は討論番組「朝まで生テレビ」にて、あっぱれにも――と言っていいものかw――「(自衛隊は)武器は持たなくていいと思っている」「交戦権も放棄したほうがいい」などと主張。他の登壇者から「敵を殺さないで自分が殺される状況に置かれたらどうするの?」と詰められると、「じゃあ、殺されます」とまで言い切ったのだった。

僕はこれを見て、十年ほど前に経済評論家の森永卓郎氏が「憲法9条を守って日本人は黙って殺されればいい」「仮に日本が侵略されて国がなくなっても後世の教科書に『昔、日本という心の美しい民族がいました』と書かれればいいんじゃないか」などと発言したのを思い出した。当然、この発言で彼が他の登壇者から袋叩きにされたことは言うまでもない。

こういう、「憲法9条のために我々は殺されましょう」的なことを言う左翼は昔からいたようで、三島由紀夫の『文化防衛論』のなかにも、このテの左翼に関する記述がある。

僕はもちろんこんな暴論には反対である。彼らは要するに「日本国民は憲法9条のために死になさい」と言っているに等しい。では問うが、それは戦前の「日本臣民は天皇陛下のために死になさい」という命令と、何が違うのか。

違うはずがない。天皇なり憲法9条なりのために日本国民の生命を、言うなれば「人身御供」にささげようとしている点で、このふたつの物言いは同じである。

こうした発想に、僕は断固反対する。真に守るべきは日本国民の生命(と財産)であって、憲法9条などではないのだ。

村本氏の他の発言も、いやぁひどかった(w)。沖縄について、「もともと中国から取ったんでしょ」などと発言したのだ。

おそらくは、琉球王国がかつて中華帝国冊封国であったことを言いたいのだと思われるが、「冊封国=中国のもの」というのであれば、同様に冊封国であった朝鮮や越南ベトナムすらも中国のもの、ということになってしまう。

要するに、村本氏は完全に勉強不足なのだ。なにも、芸人は政治に口を出すな、とまでは言わない。が、もうすこし勉強してから、ものを言ってもらいたいものである。

 

大人の社会科見学

なにやら意味深な小見出しで恐縮だが(w)、いやべつにイヤラシイ意味ではないのだ(;^ω^)

僕の住んでいる区の清掃工場は、改修工事を終えて昨年秋にリニューアルした。今月、その清掃工場の一般見学会に参加したのである。これは、そのときの話。

はじめに、いかにもお役所が作りそうなくだらないビデオ映像を見せられた後、カンニング竹山似の愛想のいい係員さんの案内で、施設内を見てまわった。

清掃工場の内部は、まるでSF映画のようだ。ゴミ収集車がゴミを捨てるプラットフォームと呼ばれる場所は、今にもガンダムが出撃してきそうな雰囲気だし(w)、ゴミを拾っては焼却炉へと投げ入れるアームは、まるで巨大なUFOキャッチャーのようだ。

焼却炉、排ガス浄化装置、発電機などが収められている工場内部は、ねずみ色のコンクリート壁と金属製の渡り廊下、むき出しになった天井のパイプなどが印象的で、見ていて「あ、コレ、あれだ。SF映画のラストで、主人公とディストピア国家のロボット兵士が光線銃かなんかで銃撃戦をやるところだ!」と妙にワクワクしてしまった(w

さて、驚いたのは、焼却炉の意外なほどの小ささ――巨大さ、ではない――である。

清掃工場というのはゴミを燃やすところなのだから、てっきり建物内部のほとんどを占める巨大な窯のなかでゴミを燃やすものとばかり思っていた。

そしたら、違った。焼却炉自体は意外なほど小さく、それよりもむしろ排ガスを無害化する浄化装置のほうがはるかに大きかったのだ。排ガス浄化装置こそ、清掃工場の真の主役だったのである。

焼却炉に投げ入れられたごみは、ベルトコンベアーのような仕組みでゆっくりと流れながら燃やされるが、そのコンベアーの長さはせいぜい10m程度に過ぎないという。

「へ!? たったの10mで全部燃えるんですか? 燃え残ったりはしないんですか?」

と驚いて、例のカンニング竹山似の係員さんに訊いてみたところ、彼は

「ええ、燃えますよ~」

とごく平然と答えるではないか。どうやら、小さいながらもゴミ焼却炉の威力は絶大のようだ。

もっとも、やや太めの丸太だとさすがに燃え残ってしまうのだという。

見学コースの終わりのほうで、実際にゴミが燃やされているところを見せてもらった。なんと、東京都の清掃工場のなかで、焼却炉の中の様子を肉眼で覗けるのは、リニューアルされたこの清掃工場だけなのだという。いや~、ありがたい(w

中を覗くと、ものすごい勢いでゴミがどんどん燃えている。清掃工場というのはガスを使ってゴミを燃やしているのだと思っていたが、係員さんによるとガスを使用するのは、はじめに炉に火を入れるときだけで、そこから先はガスなど使わなくともゴミだけで24時間ずっと燃え続けるらしい。へぇ~、意外な発見の連続ですなぁ!

……いかがだったろうか、大人の社会科見学。みなさんにも、おススメだ。

 

映画

今月もまた、例によって映画を30本見た。

今月見たなかでのベストは、『ザ・メッセージ 砂漠の旋風』だ。世界三大宗教のひとつであるイスラーム教の誕生の経緯を描く。今日ではどうしても危険というイメージが付きまとうイスラーム教であるが、もともとは平和と女性を尊重する宗教であったことが本作からは分かる。みなさんも本作を見れば、イスラーム教のイメージがきっと変わるはずだ。

このほかにも、今月はいい映画をたくさん見た。

『激怒』は、ネットリンチが横行するSNS時代の今日でこそ見直されるべき映画だ。

作中、主人公はあえて生死不明のまま行方をくらませることで、リンチ首謀者たちを死刑にしようと目論む。僕には彼の仄暗い心境が、なんとなく理解できてしまう。やっぱり僕は、法の裁きよりも個人の復讐心のほうに肩入れしてしまう、前近代的なメンタルの人間なんだなぁ、ということがしみじみと分かった。

『コレクター』。こちらは、とても気持ちの悪い映画だw(^▽^;)

若い女性を拉致・監禁するストーカー気質の男の話で、見ていて「うわぁ……」と何度ドン引きしたか知れない(w

監督はウィリアム・ワイラー。『ローマの休日』の華やかなイメージが強いが、実はこういう人間の暗い内面を描くのにも長けた監督だったのだ。

『レベル・サーティーン』もなかなかに見応えのある映画だった。前々から、タイ映画は侮れないなぁ、と思ってはいたけど、この映画を見てタイ映画界の実力を再確認した。漫画を安直に実写化した、クソみたいな映画ばかり撮っている昨今の日本映画界も少しは見習え、と言いたい(w

 

一年くらい前から、従来よりもはるかにハイペースで読書をするようになった。

きっかけは、ある大学教授が「本を読むと、ものの見方が変わる。半年続けるだけで、もう全然違う」と言って、しきりに読書の習慣を薦めているのを見たことだ。「よぉし、それなら」と発奮し、さっそくハイペースで読書をするようになった。

その大学教授の言うとおり、半年くらい経ったころから、自分のなかで<なにか>が変わりつつあるのを感じた。一年経った今でははっきりと、自分という人間が変わったのを実感できる。

心の奥底から「本を読みたい読みたい読みたい読みたい読みたい読みたい……」という情念が、まるで火山の底にあるマグマのように、ふつふつと沸き立っているのを感じるのだ。人生において、いまだかつてこんな経験はなかった。

もちろん、昔からこつこつと本を読んではいたけれど、最近ではもう昔とはメンタリティーが全然違う。本を読むのが楽しくて楽しくてしょうがないのだ。

恥ずかしながら、この歳(33歳)になってようやく、本当の意味での読書の面白さに気づいた、という次第である。

……さて、前置きが長くなってしまったが(w)、今月読んだなかでベストを挙げるとするなら、やっぱりこれしかないだろう。曹洞宗僧侶・南直哉(みなみ・じきさい)さんの『善の根拠』である。

「なんだ、またジキサイかよ!」「ジキサイ何回目だジキサイ」と、いい加減呆れられそうだが(w)、しょうがないじゃないか、いいものはいいんだよ!(www

南さんは自己を「他者に課せられた自己」と定義し、それに基づいて仏教の戒律に新たな解釈を加える。旧態依然とした戒律が南さんから命を吹き込まれることで、にわかに現代人にとってのアクチュアルな指針として生まれ変わるのが、本著の一番の見どころだ。

もうひとつ、良かった本を挙げるとするなら、政治学者・鈴木一人さんの『宇宙開発と国際政治』だろうか。

日本人はどうしても「地上のどろどろとしたリアルポリティクスから解放された、平和で国際的な空間」という憲法9条的なイメージで宇宙空間を捉えてしまうが、そうした日本人の宇宙観を吹き飛ばしてくれる、クールかつドライな一冊だ。日教組や、それが体現する戦後民主主義的な価値観が嫌いな方には、ぜひともおススメである。