Furusawa Keisuke's blog

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書評『「反原発」異論』

思想家・吉本隆明(1924-2012)

凄い人だった、と上の世代は言う。僕ら世代には、しかしながら彼の「凄さ」がいまいちよく分からない。僕ら世代にとって、吉本隆明といえば「オウム事件のときにうっかり麻原を褒めちゃった、イタいおじいちゃん」程度の印象でしかない。

 

本日ご紹介するのは、そんな吉本さんの『「反原発」異論』論創社である。

タイトルからも分かるとおり、3.11以降大きなムーブメントとなった「反原発」に対して、吉本さんが抱いてきた違和感を表明した本である。

本著は、複数の文章をまとめて一冊の書籍にまとめたものだ。

そのなかには3.11直後に行われたインタビューの記事もある。大正生まれである吉本さんは、東京大空襲も経験した。そんな吉本さんならば、3.11も東京大空襲に比べれば大したことない、とかなんとか言うのだろうな……と思いきや。

意外にも、吉本さんは、東京空襲のほうが明るかった、と言う。

≪印象が、戦争中は暗くないんですよ。町中も、人々の印象も、どこか明るくて、単純だったという感じです。戦争で、気分も高揚していたこともあったんでしょうけれども、空襲で町がやられた後も、みんながあわただしく動き回っているという感じがあった。それがちょっと今回とは印象は、まるで違う。≫(76頁)

平成は、来年の4月で終わってしまう。この平成という時代を一言で総括するならば、「停滞の時代」となろう。20年にも及ぶデフレによって、日本社会は長らく停滞を余儀なくされた。

昭和とは、その点が異なる。昭和は「激動の昭和」とよく形容されることからも明らかなように、激動の時代であった。いい意味でも悪い意味で、日本は激動していた。戦争に至る昭和10年代は一般に暗い時代だったと言われるが、それでも日本社会は悪い意味で激動していたのだ。平成にはそういう「悪い意味での激動」すらなかった。

それが、吉本さんの言う「暗さ」の正体ではあるまいか。

 

本著にはこのほかにも、興味深い文章が多い。「科学技術を語る」と題された章もそうだ。

実戦にただちに結びつく研究しか認めなかった旧日本軍とは異なり、米軍は直接実戦とは結びつかないような基礎科学の研究にも、しっかりと予算をつけていたという。これなどは、現在の日本の科学技術行政への痛烈な批判と言っていいのではないか。

意外と忘れられがちであるが、吉本さんは東工大の出身、すなわち理系であった。

文芸評論家・奥野健男さん(1926‐1997)による「自然科学者としての吉本隆明」と題された章では、科学者としての吉本さんの一面を見ることができ、非常に興味深い。付け加えれば、奥野さんもまた、化学技術者にして文芸評論家というユニークな経歴の持ち主であった。

恥ずかしながら、さらに付け加えるとするなら、僕(古澤)自身もまた、大学で応用化学を学んだ理系のはしくれである。

 

さて、いよいよ本著のメインディッシュ「反・反原発」の話に入るとしよう。

吉本さんは「『反原発』で猿になる」という実に挑発的なタイトルの章で、以下のように述べている。

≪今回、改めて根底から問われなくてはいけないのは、人類が積み上げてきた科学の成果を一度の事故で放棄していいのか、ということなんです。

 考えてもみてください。自動車だって事故で亡くなる人が大勢いますが、だからといって車を無くしてしまえという話にはならないでしょう。ある技術があって、そのために損害が出たからといって廃止するのは、人間が進歩することによって文明を築いてきたという近代の考え方を否定するものです。≫(134頁)

この文章を読むたび、僕は経済の問題を連想してしまう。

これまで、日本の(自称)リベラル左派は実に安直に「脱経済成長!」と唱えつづけてきた。曰く、「日本はもう成長しない」、「これからは、モノの豊かさよりも心の豊かさ」、etc……。

だが、そもそも<近代>というシステムは、テクノロジーの絶え間ない進歩と、経済成長を前提として成立するものではなかったか。ならば、「脱原発」「脱経済成長」と訴えるのは、<近代>から抜け出ろ! と言っているに等しい。

果たして我々は、そう簡単に<近代>というシステムから抜け出ることが可能なのだろうか。

 

これは僕にとっても、反省しなければならないテーマだ。僕自身、かつては反原発デモを支持し、経済成長の重要性を軽んじてきた人間のひとりだったからだ。当時の僕は、今思えばかなり安直に、我々は<近代>というシステムから抜け出せるものと思いこんでいた。

甘かった。

我々はどのみち<近代>からは抜け出せない。ならば「夢の中の火は夢の中で消せ」という仏教の格言どおり、この<近代>というシステムのなかで、経済成長を、そして原発をはじめとするテクノロジーを、さらに追及していくことしかできないのではないか。

 

そもそも、左翼が反原発を唱えるという日本の政治風景は、おかしいのかもしれない。本来、左翼は人間の理性を、その産物たるテクノロジーを、称揚する立場のはずだ。

ならば、左翼の“大御所”たる吉本さんが反・反原発を訴えるのは、一見意外なようで、実は筋が通っている、ということになる。

 

本著は、吉本さんの死後に刊行された。

言うなれば、老獅子の最後の咆哮、といった感のある、そんな一冊だ。

 

「反原発」異論

「反原発」異論