Furusawa Keisuke's blog

政治から映画、アニメ、将棋まで幅広く語ります。

書評『カンディード』

皆さんは、「弁神論」という言葉を聞いたことがあるだろうか。

ようするに、完全無欠なはずの神様がこの世界をつくったはずなのに、どうしてこの世界はこんなにも悪に満ち満ちているのだろう、という問いについて考察していくことである。

こうと書くと、なにやら日常生活から遊離した抽象的な議論に思われがちだが、そうではない。上の説明文を現代日本社会に引きつけて書き直すと、こうなる。

全能の神様の力をもってすれば、デフレのない、ブラック企業のない、サービス残業のない、パワハラ上司のいない、40代ワーキングプアキモくて金のないオッサンのいない、FXで有り金ぜんぶ溶かす人のない、中央線での連日の人身事故もない、誰もが幸せに暮らせる完璧な世界を作れたはずじゃないか。どうしてそうしなかったんだ!

……昔の人もまた、考えることは今の人間と同じであった。

彼らは考えた。どうして世界はこんなにも、戦争や疫病や貧困などにあふれているのだろう。

 

本日ご紹介する『カンディード(光文社)は、そうした問いかけに正面から向き合った古典である。著者は、18世紀フランスの啓蒙思想家として知られる、ヴォルテール(1694‐1778)

カンディード』は、まさにタイトルの由来ともなった主人公の青年・カンディードが、世界を旅してまわるあいだに、戦争や自然災害など、ありとあらゆる種類の不幸を経験するという、まぁ言うなれば、一種の冒険小説である。

いや、冒険小説などと一口でまとめてしまってよいものかどうか(;^_^A wikipedia日本語版の「カンディード」の記事では「ピカレスク小説である」と紹介されている。うーむ、それもなんか違うような気がするが……(w

 

さすが古典なだけあって、含蓄のある、良い言葉が多い。以下の箇所などは、読んでいて思わず「おっしゃるとおり!」と膝を打った。

≪何度も自殺しようと思いながら、やはり命は捨てたくないとも思うのです。こういう滑稽な意志薄弱が、おそらく私たち人間のもっとも情けない性分のひとつでしょう。だって、重荷を地面に投げ捨てたいと思いながら、それをずっと担ぎつづけたいとも思うなんて、もう愚劣の極みではありませんか。≫(73頁)

死にたくないし、生きたくもない。矛盾、と言ってしまえばそれまでだけど、そもそも人間とは、そういう矛盾を抱えた生き物ではなかったか。

以下の箇所も、うんうん、そうだよな、と頷いてしまう。

 ≪隣の町が落ちぶれるのを願わない町や、隣の家が破滅するのを願わない家など、ほとんどありません。どこにおいても、弱者は強い人間を憎悪しながら、強い人間のまえでは這いつくばり、そして、強い人間はそういう弱者を羊の群れのようにあつかい、その毛や肉を売る。≫(133頁)

 

カンディード』には、クスリと笑ってしまう描写が多い。そこに描き出される世界はまさに悲惨そのもののはずなのに、ヴォルテールの筆致がなんともシニカルなものだから、つい笑ってしまうのだ。

一般に、不条理に接したときに人間が抱く感情は、「怒り」と「悲しみ」、そして「笑い」であろう。

「え、笑い!?」と皆さん意外に思われるかもしれないが、世の不条理を、怒りや悲しみではなくあえて笑いによって表現しようとしたヴォルテールの姿勢は、大著『収容所群島』を著したソルジェニーツィンのそれと通底しているように、僕には思えてならない。

 

さて、今回取り上げた光文社古典新訳文庫版では、『カンディード』本編のほかにもうひとつ、同じヴォルテールの手による『リスボン大震災に寄せる詩』がおさめられている。

こちらは『カンディード』とはうってかわって、世の不条理に対する彼の怒りと悲しみが、前面に押し出された格好になっている。ちと長くなるが、彼の嘆きをぜひ皆さんにも共有してもらいたいので、以下に引用させていただく。

≪人間の思い上がりと間違いの舞台であるこの世界は

幸福を語る不幸なひとびとで満ちている

誰もが幸せを求めて、うめき、嘆く

が、死ぬのは嫌だし、生まれ変わりたいとも思わない

苦しみだらけの人生でも、ときには快楽があり

喜びの手で涙をぬぐうときもあるからだ

ただ、快楽は長く続かず、影のように消え去る

悲しみ、後悔、喪失は無数にある

われわれにとって過去は悲しい思い出にすぎない

もしも未来がなく、思考する存在は墓場の闇に消えていくだけなら、現在は恐怖にすぎない≫(247頁)

 

「古典」と聞くと、なにやら敷居の高いもののように思われるかもしれない。だが古典は、多くの時代、多くの人々に「こ、これは……!」とその真価を認められたからこそ、古典なのである。

古典に触れない人生なんて、損だ。

皆さんもこれを機に、古典の世界に飛び込んでみてはいかがだろうか。

 

カンディード (光文社古典新訳文庫)

カンディード (光文社古典新訳文庫)