Furusawa Keisuke's blog

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書評『評伝 北一輝』

今日は2月11日。建国記念の日だ。

日本の誕生日には、かつて日本を揺るがせた革命家、北一輝(1883‐1937)の評伝を取り上げるのがふさわしかろう。

というわけで、本日ご紹介する本は、評論家・松本健一さん(1946-2014)による『評伝 北一輝岩波書店である。全5巻。松本さんのライフワークともいえる、渾身の力作だ。かなりの分量だが、松本さんのさらさらとした読みやすい文体のおかげで、僕は短期間のうちに一気にこの大著を読み終えることができたのだった。

 

第1巻は、佐渡島での北の青春時代を描いている。

北はとても利発な青年であり、10代のころから地元紙に論考を次々と投稿しつづけた。早くも地元ではスター的存在になっていたらしい。

新聞への投稿は、筆名で行われた。紙上での論争は、かなり激しい口調で行われたようだ。それはさながら、ネット掲示板でハンドルネームを用いてガンガンdisりあう2ちゃんねらーのようである。北は、生まれるのが1世紀遅ければ、毒舌のブロガーないしツイッタラーとして、ネットの有名人となっていたかもしれない。

当時の北は左翼的な考えの持ち主であったようだが、その一方で意外にも日露戦争を肯定していた。この点、同じく左翼出身ながら第一次世界大戦を肯定したムッソリーニと通じるものがある。奇しくも、このふたりは同世代であった(1883年生まれ)

北が日露戦争を肯定したのは、彼が国権論者であったことによる。彼にとっては、国内での社会主義的政策と国外での帝国主義的拡張政策とは、かならずしも矛盾するものではなかったのだ。そうした彼の思想が、やがて『国体論及び純正社会主義』として結実するに至るのである。

そんな北には、ややナルシシストの気があったようだ。彼にはテルという名の恋人がいたが、その恋は成就しなかった。だがそれは必然であったのでは、と松本さんは言う。単に「社会のしがらみが……」といった理由だけではない。北は、恋人を実在の女性から一種の抽象的な美へと昇華してしまったのである。

というと聞こえはいいが、ようするにテルは北のなかで脳内彼女になったということである。言うまでもなく、現実の女性は男にとっては他者であるが、脳内彼女は男の自我の延長に過ぎない。

北を取り巻く家族が描かれる点も、本著の面白さのひとつだ。北には弟がふたりいたが、上のほうの弟・北昤吉は兄とは違って堅実なエリート街道を歩んだ。一方、下のほうの弟はなんと生涯定職に就かず(!)、周囲からは「仙人」と呼ばれていたのだという。革命家の長男、エリートの次男、そしてニートの三男……まったく、とんでもない三兄弟がいたものである。

これは余談だが、そのニートの三男は、北の紹介で、あのアナーキスト大杉栄からフランス語を学んでいたのだという。右翼のスターと左翼のスターは、意外なところで接点をもっていたのだ。

 

評伝 北一輝〈1〉若き北一輝

評伝 北一輝〈1〉若き北一輝

 

 

続いて第2巻へ。ここでは、北の主著『国体論及び純正社会主義』の解説に、前半のページの大半が割かれている。

『国体論』執筆当時、北はまだ若干23歳の若者に過ぎなかった。20代前半の青年がこれほどの大著を書いてしまうというのは、にわかには信じがたい。

この『国体論』、右翼的な要素と左翼的な要素とがまじりあった、なんとも奇妙な様相を呈している。松本さんは彼の思想のなかに、先ほどちらりと名の挙がったアナーキスト大杉栄と通じる点があることを指摘している。

……すべてがすべて、目が覚めるほど素晴らしいというわけでもない。たとえば、国民国家がやがては世界連邦へと止揚されていくだろうとする彼のユートピア思想は、率直に言って、くだらない。そのうえ彼は、世界連邦の実現によって世界に平和がもたらされるだけでなく、人類そのものが進化し、排泄行為も、果てはセックスすらも不要になる、とまで書いている。……あんのなぁ、ウ○コしませんだなんて、ソレなんて80年代のアイドルだよっ!(w

だがもちろん、面白い箇所も多い。たとえば、恋愛は自由平等であるべきなのに経済的不平等の世の中にあってはそうはならない、という北の指摘がそれだ。これは、今日のいわゆる「非モテ」の問題にも通じるのではないか? 松本さんは「恋愛の不自由は革命の起爆剤になりうる」とまで書いている。というわけで、非モテ諸君、がんばれ(←?)。

それにしても、つくづく北はナルシシストだったんだなぁ、と嘆息が漏れる。なにせ、新聞に出す広告文を自分で書き、そのなかで「東洋のルソー、明治の頼山陽出づ……学者階級の征服……一千頁の大冊人をして狂喜せしむ」と自分で書いてしまうというのだから、そのナルシシストぶりは尋常ではない。僕のような凡人などは「あ、この人、自分で自分のこと『東洋のルソー』とか言っちゃうんだ。うあぁ…」と若干ヒいてしまうほどである。しかしそのナルシシズムこそ、この20歳そこそこの青年をしてこれほどの大著を書かしめた原動力だったのではあるまいか。

そうして世に出た『国体論』も、しかしながらその内容が内容なだけに、ただちに政府から発禁処分を受けてしまった。さしもの北も、これにはさすがに堪えたようだ。時を同じくして、北はあの脳内彼女……じゃなかった、元恋人のテルが結婚したことを知らされたのだという。

悲運にも短期間にダブルパンチを食らってしまった北があらたに活路を見出したのは、中国であった。彼は、革命を目指す中国人活動家らとともに仕事をするようになり、ついには彼自身、中国へと渡る決意をするのである。

 

評伝 北一輝〈2〉明治国体論に抗して

評伝 北一輝〈2〉明治国体論に抗して

 

 

第3巻。ここでは北の中国での活動が主に描かれる。さきほどの第2巻ではひたすら思想の話が続いたので、読者のなかにはウンザリしてしまう人もいるだろう。そういう人には、本巻のほうがロマンがあって楽しめるかもしれない――僕個人は、第2巻のほうが好きだけれども

辛亥革命といえば孫文だが、北は意外にもこの孫文を嫌っていたらしい。かわりに彼が親交を持っていたのが、宋教仁という革命家だ。理想主義の孫文に対して、宋は現実主義。国際主義孫文に対して、宋は民族主義。こうした違いから、北は孫文を嫌い、宋と意気投合したのだろう。

この時期の北はまさに大陸浪人の代名詞といった感があるが、当の本人は周囲の大陸浪人と同一視されるのを嫌がっていた、というから面白い。もっとも北は、少なくとも訪中当初は中国語ができなかったらしく、それでは周囲の大陸浪人と変わらないだろう、と松本さんにツッコミを入れられている(;^ω^)

北にとって活躍の場は、しかしながら結局は中国ではなく、日本となった。大川周明満川亀太郎らの勧めにより帰国した北は、今度は右翼の理論家として若者たちのカリスマ的存在となるのである。

この時期、彼が著したのが『日本改造法案大綱』だ。この本のなかで北は、天皇制を単に批判するのではなく、むしろそれを利用することを訴えている。この点だけ見るとなんだか左翼みたいだが、一方で彼は、私有財産に上限を設けているとはいえ、私有財産制それ自体はかならずしも否定していない、という点にも注目する必要がある。

北はときに「右翼のふりをした社会主義者」と評されることもある。が、一概にそうともいえないのではないか――僕はそう思っている。

……やがて、北から影響を受けた、たとえば朝日平吾などの青年たちが、さかんにテロを企てるようになった。日本はいよいよ、血なまぐさいテロの時代へと突入していったのである。

 

評伝 北一輝〈3〉中国ナショナリズムのただなかへ

評伝 北一輝〈3〉中国ナショナリズムのただなかへ

 

 

この第4巻では、いよいよ北の人生におけるクライマックス、2.26事件へと至る過程が描かれている。

このころ、北は『霊告日記』なる奇妙な日記をつけていた。霊感があったらしい北が、心霊たちと交わしたやりとりを文章に記したものだが、松本さんに言わせると、これはただのオカルト本ではないらしい。政治的事情により表に出すことのできない自らの思想や要人とのやりとりを、霊からの伝言というかたちで表現したのだ、と松本さんは説明している。

「○○からの霊言」シリーズで有名な現代の某新興宗教団体も、もしかしたらこの北のスタイルを真似したのかもしれない。

 

評伝 北一輝〈4〉二・二六事件へ

評伝 北一輝〈4〉二・二六事件へ

 

 

いよいよ、最終巻となる第5巻である。

北の思想に触発されて青年将校たちが起こしたクーデター、2.26事件は昭和天皇の断固とした意志により鎮圧され、北は、直接事件にはかかわっていないにもかかわらず、その理論的指導者であったとして、死刑判決を受けてしまう。

今日振り返るとなんとも滅茶苦茶な話だが、北本人は、死刑判決を受けてから、かえって精神的に落ち着いた状態になったらしい。松本さんは、以下のように書いている。

≪北はなぜ青年将校たちとともに死のうと決意したのだろうか。たんに、じぶんはもう五十三歳で老年である、というデカダンスからの死の選択であったろうか。違う。およそひとは年老いればなお生に執着するものである。たとえ、そのロマン主義ゆえにデカダンスという不治の病いを精神の内側に抱え込んでしまったものでも、老いてなおデカダンスゆえの死を選びはしないものなのだ。デカダンスゆえの死なら、若者のものだ。年老いてからのデカダンスは、死もまた可、という自然に赴く。これに対して、北の死の選択は、明らかに意思的なものだ。≫(第5巻183頁)

かくして、北は処刑された。執行時、北が「天皇陛下万歳と叫びましょうか」と訊かれて、

「いや、私はやめておきましょう」

と答えた、というのは有名な逸話だ。

 

処刑後も、しかしながらある意味では、北は死ななかったのだ。この第5巻は、北の生前の逸話よりもむしろ、彼の死後に広まった伝説のほうを詳述している。

歴史上の偉人に、「実は生きていて○○となった!」的な伝説はつきものだ。源義経が大陸に逃れてチンギスハーンとなった、という伝承はその最たるものだろう。北にもまた、そこまでスケールは大きくないにしても、そのテの伝説はあった。満州に逃れた、といった類の話だ。

松本さんは、そうした伝承を丹念に拾い集めていく。そうして、北一輝という稀有な革命家が後世に与えた多大なるインパクトを、私たちに教えてくれるのである。

 

評伝 北一輝〈5〉北一輝伝説

評伝 北一輝〈5〉北一輝伝説

 

 

『評伝 北一輝』全5巻を通して見たとき、際立っているのは松本さんの文章の美しさである。

僕は昔、松本さんの文章をさして美文だとは思っていなかった。美文というのは、たとえば三島由紀夫の『金閣寺』のような文章のことをいうのだと思っていた。松本さんの文章は、わりとさらさらと読んでしまえるので、結構とばしながら読んでいたように記憶している。

だが、今になってみると、分かる。こうして「さらさらと読んでしまえる」こと自体が、彼の文章が美文であるという証だったのだ。

良い文章は、良い酒と似ている。良い酒がまるで水のようにさらさらと飲めるのと同じように、良い文章もまた、さらさらと読むことができるのだ。

評論家・松本健一の代表作『評伝 北一輝』、ぜひ皆さんも読んでみてほしい。

 

 

 

 この本もオススメ! BOOK GUIDE

・『北一輝筑摩書房

こちらは、松本さんのライバル的存在であった評論家・渡辺京二さんによる北一輝の評伝。

ところどころで、松本さんの『評伝 北一輝』を「いや、ここの解釈はおかしい」とチクチク批判していて、笑えます(w

 

北一輝 (ちくま学芸文庫)

北一輝 (ちくま学芸文庫)