Furusawa Keisuke's blog

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書評『ファシズム体制下のイタリア人の暮らし』

ここ最近、『永遠のファシズム』『建築家ムッソリーニ』と、イタリアのファシズムに関する本を立て続けに読んでいる。

本日ご紹介する『ファシズム体制下のイタリア人の暮らし』白水社もまた、ファシズム時代のイタリアにおける市井の人々のくらしを詳述した良著である。

 

本著では、当時の一般的なイタリア人の、朝起きてから昼働き、夜寝るまでの一日の生活が描写されている。

イタリア人の生活の実に細かいところまでが書かれており、挙句のはてには当時の売春宿の様子までもが描かれているのだから、驚いてしまう――どうやら、そのテのサービスの内容は、今日の日本のそれとあまり大差ないようだ

 

乱暴を承知でまとめてしまうと、この時代のイタリアは、率直に言って貧しかった。

本著は(意外にも)トイレの話から始まるが、なんとこの時代のイタリアではまだ水洗トイレすら満足に普及していなかった、というのだから驚きだ。

貧乏暇なし。貧しければ、それだけ労働時間も長くなる。

当時のイタリアではまだ週休二日制は定着しておらず、人々は土曜日も普通に働いていたが、ファシズム時代になってから土曜日は午後が休み、すなわち日本でいうところの「半ドン」となった。

もっとも、じゃあ土曜の午後は好き勝手過ごして良かったのかというと、どうやらそうでもなかったらしい(;^_^A

この時代、土曜日は「ファシストの日」とされ、党員集会などがこの日に行われたのだという。なんだ、結局休めないんじゃん……

こうした貧困・労働の問題のほか、女性の権利の保障、社会進出の点でも、当時のイタリアはまったく遅れていた。ファシズム時代には、女性の就労は公然と制限すらされていたのである。

 

このように当時のイタリア社会は、今日の観点からすれば多くの問題を抱えていたものの、一方で、「ファシズム時代」というおどろおどろしい言葉からイメージするほどには、さほど暗いわけでもない、というのが本著読了後のいつわらざる感想である。

同時代のファシズム国家・ドイツと比較すれば、イタリアのファシズムは相対的に、「ヌルかった」。例えばこんな具合である。

≪規則によると日付はファシスト(引用者註:日本の元号のようなものか)をローマ数字で記載することになっており、スタラーチェが党書記長時代に出した指示によれば、すべての書簡は「ドゥーチェ万歳」(ドゥーチェの四文字はすべて大文字)で終わるようにとされていたが、これをまじめに受け取っていた者はひとりもいなかった。≫(150頁)

イタリアのファシズムではまた、反ユダヤ主義も希薄であった。

≪イタリア国内のユダヤ人の数は少なかった(約四万二〇〇〇人)が、その多くはファシスト党にもドーポラヴォーロ(引用者註:当時のイタリア国民に余暇の機会を組織的に提供した機関にも加盟していた。しかしふつうのドーポラヴォーロ構成員たちは決して彼らをユダヤ人として識別してはいなかった。(中略)人種差別はまさにこの世界の外にあるものと思われ、ユダヤ人に対する差別が公然たるものになると、それは暗黙のうちの保護に転化した。≫(244頁)

本著によると、ドーポラヴォーロで字の読み書きを無償で教えていた教師たちは、教科書に人種に関する記述があると「まあ、ここはとばそう」と言ってとばしてしまったのだという。このあたり、当時のイタリア社会の健全さを見ることができよう。

 

……案外、当時のイタリア社会から学ぶべき点もあるのかもしれない。

周知のとおり今日の日本は少子高齢化に喘いでいるが、当時のイタリアではたくさん子をもうけることが奨励されており、結婚した夫婦には補助金が与えられていたのだという。たとえば≪一九三七年には、二五歳までに結婚した労働者に対して七〇〇リラの、三〇歳までに結婚した事務職員に対して一〇〇〇リラの結婚手当が支給されていた≫(179頁)

日本では昨年秋、 自民党山東昭子・元参院副議長が「子供を4人以上産んだ女性を厚生労働省で表彰することを検討してはどうか」と発言し物議をかもしたものだが、表彰なんてケチくさいこと言わないで、若い世帯に実際に補助金を支給すればよいのである。今どきの若い夫婦が一番必要としているのは、ほかならぬカネなのだから。

もっとも、ムッソリーニが提唱したという「独身税」なるアイデアは、今日の日本では取り入れるべきではないだろう。今の独身男性たちは、「結婚しないで金を持て余している」のではなく、むしろ「貧困ゆえに結婚できない」という場合が多いからである。

 

本著を読んでいると、ただおどろおどろしいだけではない、「等身大のファシズム」が見えてくる。

ファシズムを批判するのは構わない。というかむしろ、ファシズムを批判するのは大切なことである。その批判を有効なものにするためにこそ、我々は「等身大のファシズム」を知る必要があるのである。

 

ファシズム体制下のイタリア人の暮らし

ファシズム体制下のイタリア人の暮らし