Furusawa Keisuke's blog

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書評『中島岳志的アジア対談』

本ブログではこれまで、政治学者・中島岳志さんの著作をいくつか取り上げてきた

本日ご紹介するのは中島さんの、単著ではなく対談集。『中島岳志的アジア対談』毎日新聞社である。

 

対談者の主な顔ぶれを見てみると……本ブログではおなじみ、作家の佐藤優さんや、評論家の片山杜秀さん仏教学者の末木文美士さん評論家の吉本隆明さん(1924-2012)、そして今年、自殺という衝撃的なかたちで人生に幕を下ろした評論家の西部邁さん(1939‐2018)、といった方々である。

彼らのほかに本著で登場するのは、政治学者の山口二郎さん、同じく政治学者の姜尚中さん、映画監督の森達也さん……といった具合に、一般には「サヨク」と思われている人々が多い。考えてもみれば、先ほどの名の挙がった吉本隆明さんだって、かつては全共闘の学生活動家たちにとっての思想的リーダーにほかならなかったのだ。

自らを保守だと名乗る中島さんが、しかしながら彼ら左派知識人たちとの対談に臨んだ意図は、僕にはよく分かる。

中島さんは、今日「右派」と呼ばれている人たちは、本当に右派なのか。むしろ、一般には「サヨク」と呼ばれている人たちこそ、本当の意味での右派なのではないか――そう問いたいのだ。

 

たとえば、社会福祉学者・岩田正美さんとの対談では、地域社会が包摂性を失ったせいでホームレスの問題が深刻化していることが語られ、フリーライター赤木智弘さんとの対談では、地方都市が車社会になったせいで地方商店街が衰退している――僕の出身地・静岡県沼津市がまさにそうなのでよく分かる――という現状が指摘される。

あるいは、タレントのいとうせいこうさんとの対談では、ナショナリズムとは区別される意味での「ジモト主義」の可能性について語られる。

これはいずれも、僕にとって共感できるテーマだ。

僕はつねづね、いわゆる保守派の評論家たちの関心がもっぱら、竹島尖閣諸島靖国神社、あるいは「従軍慰安婦」や「南京大虐殺」などの問題に集中していることに、違和感を抱きつづけてきた。

それらの問題も、もちろん重要ではある。その点は否定しない。

だがそれと同じくらい、たとえば三浦展さん言うところの「ファスト風土」の問題やゲーテッドコミュニティの問題だって、国民国家の将来を考えるうえで、極めて重要なテーマのはずである。そうした問題提起が、いわゆる保守論壇のなかでなされていないことに、僕は前々から苛立ちを募らせてきたのだ。この点では、むしろ左派と呼ばれる人々のほうが問題を深刻に受けとめている、と言っていいのではないか。

 

今日の左派は、ある意味では戦前右翼の継承者、と言ってもよいかもしれない。

中島さんと、上のほうで名前の挙がった片山杜秀さんとの対談では、まず「保守」と「右翼」の違いについて触れられる。

どちらも人間の理性をあまり信用しないという点で共通しているが、保守が社会を漸進的に変化させようとする立場であるのに対し、右翼は過去にあった(とされる)ユートピア的共同体へと還ろうとする。ゆえに、その言動は過激なものとなる。

中島さんたちは、戦前の日本社会において、右翼に近いといえる存在は意外にも保守ではなく、むしろ左翼のほうだったのでは、と議論していく。

重要な論点だ。戦前において右翼と左翼がきわめて接近していたという事実は、経済評論家の上念司さんや憲政史家の倉山満さんがつとに指摘しているところでもある。

なるほど、だから中島さんはあえて左派の人たちを対談相手に選んだのか、と思った。恐竜の子孫が意外にもワニ・トカゲではなく鳥類であるように、戦前右翼の継承者が意外にも今日「左派」とか「リベラル」とか呼ばれている人たちなのだということを、中島さんは対談者の顔ぶれによって示したかったのではないだろうか。

 

本著は、このように僕にとってはなかなかに知的刺激を受ける一冊となった。

もっとも、最後に付け加えておくと、僕個人は中島さんのことを保守だとは思っていない。保守“のこともよく勉強しているリベラルの学者さん”だと認識している。

 

中島岳志的アジア対談

中島岳志的アジア対談