Furusawa Keisuke's blog

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書評『日本共産党の研究』

それにつけても、昨年の衆院選での共産党の見苦しさといったら、なかった。

公示前の21議席を大きく下回る12議席という大惨敗だったというのに、委員長の志位和夫はじめ幹部たちは誰ひとり責任を取ろうとしない。それどころか志位委員長は選挙特番でのインタビューにて「改憲批判勢力が勝ってうれしい」とまで述べていた。

これではまるで、彼らの宿敵――「撤退」を「転進」だと言い張った旧日本軍そのものではないか。

つくづく、救いようのない政党だな、と思った。

 

こうした共産党の体たらくは、しかしながら昨日今日始まったものではないらしい。実に40年以上も前に、この政党を徹底的に解剖・分析し、容赦ない批判を浴びせかけた評論家がいたのだ。

立花隆さんである。その尋常ならざる読書量と執筆量から「知の巨人」とまで称されている。

本日ご紹介する本は、そんな立花さんの『日本共産党の研究』講談社である。

 

文庫本にして計3冊という大著であるが、もともとは雑誌の連載であったためか、意外と読みやすい。

本著は主に、戦前の非合法時代における共産党の歩みを描いたものだ。その誕生の経緯に始まり、「スパイM」の暗躍とそれにともなうメンバーの一斉検挙、そしてかの悪名高き「日本共産党スパイ査問事件」をクライマックスに描く。

 

立花さんの文章は、ときに意外な喩えがあり、ときに皮肉たっぷり、そしてときに、非常に辛辣である。

たとえば、コミンテルンをグローバル企業に喩えるのは、意外だが分かりやすい(第一巻57‐58頁)。今日のようなグローバル企業が誕生したのは、情報技術が飛躍的に進歩し、コミュニケーションが全地球規模でスムーズに行われるようになったことによる。今日ほど情報技術が発達していなかった20世紀前半において、コミンテルンのごときグローバルな、しかも上意下達型の組織が効率的に作動することなどあり得なかった、という立花さんの指摘は、「なるほど!」とうなずくほかない。

皮肉なのは、共産党を内側から蝕んだ「スパイM」の話。彼は意外にも組織経営に優れた才能を示し――スパイなのに!w――そのおかげで、コミンテルンと手の切れた日本共産党は一時期かなり裕福になった、というのだからなんとも皮肉なものである。

辛辣な指摘は、中国共産党日本共産党、かたや一党独裁、かたや万年野党、同じアジアの共産党なのにここまで差がついたのはどうしてか、という問題提起である。

立花さんによれば、中国共産党が農民を重視したのに対し、日本共産党は悪い意味でのエリート主義に陥り、大衆から遊離してしまったからだという。同じ時期に「昭和維新」をスローガンに掲げた右翼が大衆からの同情と共感を集めたのとは対照的だ、とも。

このような文章だから、共産党にはずいぶんと挑発的な連載に見えたことだろう。

連載当時、共産党から立花さんへの批判や取材妨害は、そりゃあもう凄まじいものがあったらしく、立花さんは自らの執筆のスタイルとポリシーを明らかにする「資料と研究手法について」と題した一節をわざわざ書かなければならなかったほどである。

 

さて、さきほど右翼が話題にのぼったが、本著を読んでいて僕が興味深いと感じたのは、共産党そのものよりかはむしろ、共産党と右翼ないし天皇制との関係であった。 

先日取り上げた政治学者・中島岳志さんの対談本『中島岳志的アジア対談』のなかで、戦前の日本では右翼と左翼がきわめて接近していた、という話があった。

立花さんもまた、本著のなかで、戦前の左右がとても似通っていたことを指摘している。

印象的なのが、「佐野・鍋島転向声明」共産党と決別した彼らは、同声明のなかで共産党コミンテルン批判を展開している。批判の要点は、彼らが天皇制とツァーリズムを混同したこと、敗戦主義――戦争はなにがなんでも悪いという考え――の立場をとったこと、朝鮮・台湾を独立させようとしたこと――アジアの民族はむしろひとつにまとまったほうが小国分立といった事態を招かないので望ましい、などである。

これらの主張は、たとえば北一輝などの右翼の思想家・活動家たちの主張に極めて接近しているという点に注目してほしい。

 

共産党にとっての躓きの石は、やはり天皇制であったろう。

コミンテルン天皇制を西欧の専制君主制の延長上にしか見られなかった。つまりロシア革命前のツァーや、ドイツ革命前のカイゼルのようなものが天皇であると考えていた。だから、すでに民衆の中で天皇への怨嗟の声が高まっており、それに加えてさまざまの社会矛盾からくる民衆の不満を組織して、この一点に向けさせれば、かつてのロシアやドイツで「ツァーを倒せ」「カイゼルを倒せ」の声が民衆の間にまき起こったように、日本でも「天皇を倒せ」の声がワッと出てくるものと想像したらしい≫(第二巻21頁)

ところが、ワッとは出てこなかった。

どうしてか。

以前にも書いたことがあるが、日本のアウトサイダーは「天皇を打倒しろ!」とは言わないのだ。むしろその反対で、「天皇は俺たちの味方だー!」といって自らを鼓舞するのが伝統なのである――現在、そうした伝統を反復しているのが、哲学者の内田樹さんだ

だが、それはあくまで“日本の”アウトサイダーの話。朝鮮人はその限りではない。したがって、日本人よりも朝鮮人の党員のほうが、行動が過激であったという。

≪特に天皇制打倒とのかかわりにおいては、朝鮮人は尖鋭的だった。朝鮮人には、日本人の意識の中に歴史と伝統の重みをともなって深く沈淪している、民俗文化的存在としての天皇への独特の民族感情が最初から欠如していた。それどころではなく、朝鮮人にとっての天皇とは、朝鮮を植民地として支配する日本帝国主義の政治的シンボル以外のなにものでもなかった。≫(第二巻305頁)

この事実は、我々に重大な示唆を与えてくれる。戦前右翼にとっての二枚看板が「天皇主義」と「アジア主義」であったが、このふたつは、実は両立しないのだ。

 

立花さん曰く、天皇制は三つある。

ひとつは、政治制度としての天皇制。共産党が「天皇制」という言葉で呼んできたのは、これであった。ところがこのほかにも、「民族の母斑のような歴史的国民意識における天皇制」と「日本人の精神構造における天皇制」がある、と彼は言うのだ。

「民族の母斑のような歴史的国民意識における天皇制」というのは、上述の、アウトサイダーたちが「天皇は俺たちの味方だー!」と言って自らを鼓舞するという、アレである。

「日本人の精神構造における天皇制」というのは、かつて政治学者・丸山眞男(1914‐1996)が批判したような、上に立つ人間が誰も責任を取ろうとしないという無責任な体系のことで、これは戦前の日本国家のみならず、その下部組織たる旧日本軍、さらには冒頭で述べた通り、今日の共産党にまで共通するものである。

立花さんは例によって皮肉たっぷりに、こう書いている。

共産党があれだけ果敢に第一の天皇(引用者註:政治制度としての天皇制)と闘えた理由の一つは、ここに見出すことができるかもしれない。共産党がもう一つの天皇制組織だったということにである。≫(第一巻194頁)

 

余談ながら。右翼の人はよく「『天皇制』なんて言葉を使うな! 『国体』と呼べ!」と怒るが、僕はこれらふたつの言葉を区別して使いたいと思っている。すなわち、立花さんのいう「政治制度としての天皇制」のことを単に「天皇制」と呼び、「民族の母斑のような歴史的国民意識における天皇制」のことを「国体」と呼んで区別したい、と考えている。

 

さて、先の衆院選議席を大きく減らした共産党。次の選挙では一体どうなるだろうか。まぁ、あまり期待はできないだろう。すくなくとも、アベノミクスにやみくもに反対しつづけるかぎり、この政党は今後もお先真っ暗、というほかあるまい。

 

日本共産党の研究(一) (講談社文庫)

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日本共産党の研究(二) (講談社文庫)

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日本共産党の研究(三) (講談社文庫)

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