Furusawa Keisuke's blog

政治から映画、アニメ、将棋まで幅広く語ります。

書評『共産主義黒書』

僕は昔から、合宿というのがもう本当に本当に、嫌だった。

小中学校の林間学校も嫌だったし、大人になってからも相変わらず、合宿が嫌いだ。

大学生のころ、嫌々ながら自動車免許を取得した。このときも、母親からは合宿を薦められたのだが、僕は「そんなのはご免だ」と言って、毎日アパートから自動車学校へと通ったのだった。

どうしてそこまで合宿が嫌なのかと言うと、プライベートの空間が欲しいからである。他の連中と一緒に集団生活を送るというのは、どうにも性に合わない。

僕は、そんな調子だから保守主義者になったのだろうな、と我ながら思う。

……この理屈は、日本人にはよく理解できないかもしれない。日本の保守派はたまに、「若者を粗末な宿舎に入れて一年間ボランティア活動を強制しよう」云々と言ってしまうからである――だいたい、強制される活動のどこがvolunteer(自発的)だというのだろう

だが保守とは本来、左右の全体主義から人々の自由を守ろうとする立場のことではなかったか。

合宿を嫌う僕は、したがって全体主義をも嫌う者である。

 

本日取り上げる本は、『共産主義黒書』筑摩書房である。

フランスにて、複数の著者によって書かれたこの大著、原題は"Le livre noir du communisme"という――ここから、『共産主義黒書』という邦題が、原題からの直訳であることが分かる

原著のほうは五部構成なのだそうで、第一部はソ連、第二部はコミンテルン、第三部が東欧諸国で、第四部が中国、ベトナムラオスカンボジア。最後の第五部では、その他の第三世界ラテンアメリカ、アフリカ、アフガン等)が取り上げられているという。

今回ご紹介する、ちくま学芸文庫版では、このうち第一部が「ソ連篇」、第四部が「アジア篇」と題され、刊行されている。今回は、これら二冊をまとめて取り上げることとしよう。

 

ソ連篇」では、今からちょうど一世紀前、十月革命直後のロシアにおける、社会的大混乱や大虐殺の詳細が書かれてている。

これはソルジェニーツィン著『収容所群島』を読んだときにも感じたことだが、不謹慎を承知であえて言わせてもらう。

……ここまでくると、もはやギャグだね。

「××(地名)にて○万人殺戮」といった記述が毎ページごとに出てくるので、感覚が麻痺してくるのだ。本当にあっけないくらいに、人間がサクサク死刑になっていく。悪い冗談にしか思えない。

だが、もちろんこれは冗談などではない。今からちょうど100年前のロシアで、実際に起こった悲劇なのだ。我々はそのことを肝に銘じなければならない。

 

ソ連篇」は原著の第一部のみを訳したものだが、それでもあまりに分厚く、情報量が多すぎるので、読んでいて頭がクラクラしてくるかもしれない。

さいわい、巻末に「訳者解題」と題して、訳者による各々の章の要約と解説が載っている。頭のなかが混乱してしまったという人は、いったんこちらを見て、それから再度本文にあたってみるとよいだろう。すんなり情報が頭に入るようになるはずだ。

 

共産主義黒書〈ソ連篇〉 (ちくま学芸文庫)

共産主義黒書〈ソ連篇〉 (ちくま学芸文庫)

 

 

それではつづいて「アジア篇」へ。こちらでは、おもに中国やカンボジアでの虐殺行為について書かれている。

本著を読むと分かるのは、一口に共産圏とはいっても、ソ連によって衛星国化された東欧と、実力で共産主義を“勝ち取った”アジアとでは、様相が異なるということだ。

≪ヨーロッパの共産主義と比較したとき、アジアの共産主義には、第一義的に重要な特殊性が三つある。第一に、一九四五年八月にソ連に占領された北朝鮮を除き、アジアの共産主義はおおむね、彼ら自身の努力によって生まれたという事実である。そのためアジアの共産主義国は(朝鮮戦争以降の北朝鮮も含め)、自前の政治制度を建設することができた。これらの体制はソビエト起源のマルクスレーニン主義に基づくものではあるが、それと同じ程度に、自国の過去に根ざし、ナショナリズムを色濃くとどめている。≫(アジア篇11頁)

アジアの共産主義国ナショナリズムを色濃くとどめている――この指摘は、かなり重要ではないか。

ソ連は滅んだのに中国は相変わらず残っているのはどうして?」とはよく口の端に上る問いであるが、その理由はここにあるのかもしれない。

 

個々の国について、もっと詳しく見ていこう。

まずは中国。文化大革命に関する記述は、やはり圧倒的だ。

もっとも、こんなことを言ったらこれまた不謹慎かもしれないが、当の紅衛兵たちは案外楽しかったんだろうな、と思う。なにせ10代のころから大人たちを罵倒し、既存の価値観を破壊しつくせたのだから。つまらなかったはずがない。

今や文革は過去のもの、と思われがちだが、著者は賢明にも中国に対し、こうクギを刺すのを忘れなかった。

≪この国はその創立者を明確には一度も否認したことがないために、深刻な困難に出会った時には、かの不吉きわまる方法のいくつかを再び使用する用意が常にあるといわねばなるまい。≫(アジア篇197頁)

中国に関する章の末尾には、チベットでの中国共産党による虐殺行為が記されている。こちらも見逃がせない。

 

お次は北朝鮮だ。もっとも、こちらは日本でも散々報道されているとおりなので、本著を読んでも「あぁ、やっぱりね」といった印象である。

続いてベトナムが取り上げられ、最後にカンボジアがくる。

カンボジアもまた、実に凄惨だ。人々は朝から晩まで十何時間も労働させられる。多くの人々が収容所に入れられた。妊婦が殺されると、中の胎児の遺体まで取り出され、牢屋の屋根の縁に吊るされたのだという(アジア篇334頁)。ゾッとする描写だ。

 

 

共産主義黒書〈アジア篇〉 (ちくま学芸文庫)

共産主義黒書〈アジア篇〉 (ちくま学芸文庫)

 

 

 

21世紀の今日、ソ連はもはや過去の遺物となり、一部のマニアの郷愁(!)すら誘うものとなったが、アジアの共産国は周知のとおり、今日もなお現在進行形で人々を蹂躙し続けている。

おりしも、中国共産党によるウイグル人大量収監が報じられたばかりだ。

 

www.newsweekjapan.jp

全体主義の脅威は、まだ潰えていない。この現実を、我々は直視しなければならない。