Furusawa Keisuke's blog

政治から映画、アニメ、将棋まで幅広く語ります。

書評『江藤淳の言い分』

今年1月、保守派の論客として知られた、評論家の西部邁さんが自ら命を絶った。

この突然の訃報を受け、人々は「保守の重鎮が自裁するだなんて、これは江藤先生以来のことではあるまいか」とその死を悼んだ。

「江藤先生」とは、文芸評論家の江藤淳さん(1932-1999)のことを指す。長く、保守派の重鎮として論壇に君臨した江藤さんもまた、最後は自殺というかたちで自らの生涯に幕を下ろしたことで知られる。

 

本日取り上げるのは、そんな江藤さんの生涯に迫った『江藤淳の言い分』(書籍工房早山)である。

著者は、元編集者の斎藤禎さん。斎藤さんは、かつて編集者として生前の江藤さんに接した人のひとりである。

 

本著はまず、江藤さんの人となりについて触れる。続いて、小林秀雄埴谷雄高らとの「転向」論争、本多秋五らとの「無条件降伏論争」、そして『一九四六年憲法――その拘束』などの著作から読み取れる江藤さんの戦後観を概観する。最後に、江藤さんの自死にいたるまでの過程を描いていく。

 

文芸評論家にして論壇の重鎮でもあるのだから当然といえば当然だが、江藤さんの文章は、やはり美しい。

本著の様々な箇所で引用されている彼の文章を黙読すると、黙読だけでは物足りない、実際に声に出して読んでみたい――そういう欲求に駆られてしまう。

 

本著を終わりまで読んで、ひとつ分かったことがある。「たかだか一介のブロガー風情が、なにを尊大な」と冷ややかな目で見られるのを承知であえて言うが、江藤さんは僕と似ているのだ。

もちろん筆力はまったく比較にならないが、基本的な性格、人となりが似ていると感じる。

すなわち、一見すると穏やかだが、本質的に激しやすい性格である。

斎藤さんによると、江藤さんは、親しく接している相手ほど、後に決裂することが多かったという。一見すると不可解にも思えるこの性格も、僕にはなんとなく分かる気がする。僕のこれまでの半生を振り返ってみても、似たような出来事がいくつかあったな、と心当たりがあるのだ。

 

江藤さんは保守派であったが、三島由紀夫に対しては冷ややかだった。

僕は以前、友人から、三島さんが割腹自殺した日の新聞記事を見せてもらったことがある。記憶があやふやで自信がないのだが、江藤さんはたしか「三島さんのせいでまた日本人が野蛮だと思われる」といった趣旨の、なんとも冷たいコメントをしていた、と記憶している。

僕は、江藤さんよりも三島さんのほうが好きだ。だがそれは、僕が三島さんと似ているという意味では必ずしもない。

むしろ逆なのだ。どちらに似ているかというと、僕は江藤さんのほうに似ている。だが人は、自分とは違う人間のほうにこそ惹かれるものなのだ。僕が三島さんに惹かれるのは、三島さんが僕とは“違う”タイプの人間だからだろう。

 

恥ずかしながら、僕はこれまで、江藤さんの本をあまり読んだことがなかった。これから少しずつ、彼の著作に触れようと思っている。

まず手始めに、本著でたびたび引用されている『閉された言語空間――占領軍の検閲と戦後日本』や『一九四六年憲法――その拘束』あたりから読みはじめるとしようか。

 

江藤淳の言い分

江藤淳の言い分