Furusawa Keisuke's blog

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書評『最終戦争論 戦争史大観』

本ブログではこれまで、頭山満北一輝など、戦前の右翼活動家をたびたび取り上げてきた。

彼らは戦前の日本社会において大きな影響力を保持していたが、とはいえ彼らとて一民間人にすぎず、権力の中枢にいたわけではなかった。

その点、帝国軍人として、権力のまさに内側からアジア主義の理想を実現しようとしたのが、石原莞爾(1889‐1949)であった。

 

本日ご紹介する『最終戦争論 戦争史大観』中央公論新社は、石原によるふたつの著作『最終戦争論』『戦争史大観』を合本したものである。

『最終戦争論』は、1940年に行われた彼の講演を活字化したものであるため、わりと読みやすい。一方、『戦争史大観』のほうは、さすが軍人の石原らしく、古今東西の戦争に関してより詳細に説明されている。

両者の内容はだいたい同じであるが、ただ一点、後述するとおり、『最終戦争論』の終章には仏教に関する話があるのに対し、『戦争史大観』にはそれがない。

今回の記事では、『最終戦争論』のほうに絞って話をするとしよう。

 

石原によれば、戦争は「決戦戦争」と「持久戦争」のふたつに大別される。意味は読んで字のごとし。決戦戦争とは短期決戦であり、持久戦争とは長期にわたって行われる戦争のことである。

人類の歴史は、これらふたつの間を行ったり来たりしてきた。

第一次欧州大戦――石原は一般的な「第一次世界大戦」という呼称を用いず、あえてこう呼んでいる――は、持久戦争であった。しかし将来的に日米の間で行われるであろう、来たるべき世界最終戦争は、決戦戦争になるのだという(※)

※この講演が真珠湾攻撃の1年前に行われた点に注意

そしてその決戦戦争が終わり、日本が米国に勝利したあかつきには、世界政府が樹立され、世界に平和が訪れるのだという。

このように世界政府の樹立を夢見ている点では、北一輝下中彌三郎とも共通する。一見国粋主義的に思える戦前右翼の思想家たちが、意外にも世界政府を待望したのはどうしてだろう。個人的に気になっている点だ。

 

戦術に関する石原の話もまた、興味深い。

石原によると、戦闘隊形は点から面へと進化を遂げてきた。古代ギリシャの時代はファランクスであり、これは言うなれば「点」であった。時代が下るにつれて、戦闘隊形は「線」になり、やがては「面」となった。これからは空軍力の進歩により「体」(立体、3次元)となることだろう。ではその先は? 石原は言う。

≪われわれは体以上のもの、即ち四次元の世界は分からないのです。そういうものがあるならば、それは恐らく霊界とか、幽霊などの世界でしょう。われわれ普通の人間には分からないことです。≫(33頁)

21世紀の世界に暮らす我々は、その「四次元の世界」を知っている。

サイバー空間だ。

これについては、本ブログにて以前取り上げた『「第5の戦場」サイバー戦の脅威』『軍事革命(RMA)』を参照してほしい。

 

ここまで、軍事に関するリアリスティックな議論が続いた。ところが後半になるや、雰囲気が一転。熱心な日蓮主義者でもあった石原は、ここから仏教の話をはじめるのである。

「え? なんで唐突に、仏教???」

と我々現代人は困惑してしまう。が、石原本人にとっては、上述の戦争の話と仏教の話とは、つながっていたに相違ない。

ここに、ものすごく合理的な考え、ふるまいのできる人間がいると仮定しよう。

ところが、その人が合理的にふるまおうとする理由それ自体は、皮肉にも必ず非合理的なものであるに違いないのだ。

石原はまさにそれである。石原は軍事において極めて合理的な思考をすることができたが、そんな彼が心のよりどころとしていたのは、日蓮主義という信仰(非合理)に他ならなかったのだ。

 

※今回、僕が読んだのはKindle版ではなく、中央公論新社刊行のものです。したがって、引用箇所のページ番号に相違があるかもしれません。ご了承ください

 

この本もオススメ! BOOK GUIDE

・『地ひらく』上下巻文藝春秋

文芸評論家・福田和也さんによる石原莞爾の評伝。石原の生涯、思想だけでなく、当時の日本・世界の動きについてもふんだんにページが割かれています。

僕の愛読書のひとつです♪

 

地ひらく〈上〉―石原莞爾と昭和の夢 (文春文庫)

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