Furusawa Keisuke's blog

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書評『日本教の社会学』

本ブログではこれまで、社会学者の小室直樹さん(1932-2010)評論家の山本七平さん(1921-1991)の著作を複数取り上げてきた。だがふたりの対談本を紹介するのは、今回がはじめてとなる。

日本教社会学 戦後日本は民主主義国家にあらず』(ビジネス社)だ。

 

このふたり、とにかく切れ味が鋭すぎる。ふたりとも、一般には保守の論客と見なされていたが、他の保守派とは全然違う。たとえるならば、草サッカーのなかでロナウドロベルト・カルロスのふたりがドリブルして他を圧倒しているような感じ、とでも言えるだろうかw――たとえが微妙に古くて恐縮だが

ともに博識で、社会科学的な発想に親しんだふたりは、したがって相性抜群だ。

 

本著は、第一部、第二部、そして第三部という三部構成であり、各々の部がさらに細かい章に分けられている。

第一部第二章のタイトルが、またなんともぶっ飛んでいる。「戦前日本は軍国主義国家ではない」ときた(w

「えーっ!? 戦前日本が軍国主義じゃなかったって!? なら一体何なの!?」と皆さん不思議に思われることだろうが、著者たちの話を聞けば「へぇー、そんな見方もできるのか」とご納得いただけるはずである。付け加えれば、現代の論客のなかで本著における「軍国主義」の定義を踏襲しているのが、憲政史家の倉山満さんだ

 

さて、第二部「神学としての日本教」からはいよいよ、「日本教」をはじめ、山本さん発案のアイデアが次々と開陳されていく。

ここでは、そうした山本さんのアイデアを、小室さんが社会学の用語を用いて再定義する、というのが大まかな流れになっている。

日本教」というのは聞き慣れない言葉なので簡単に説明しておくと、宗教に関する日本人のエートス(行動のパターン)のことである。山本さんに言わせれば、仏教もキリスト教も日本に入ってきたとたん、「日本教仏教派」「日本教キリスト教派」へと様変わりしてしまうのだ。

このほか、本著で重点的に論じられるのが、「実体語と空体語」、「空気と水」といったアイデア

これらは、現代日本社会を考察するにあたって、きわめて有益だ。たとえば、メディアに関する小室さんの以下のコメント。ちと長くなるが、極めて重要な箇所なので引用しよう。

≪政府のことをよく書く新聞、これもまた例外なのですが、いずれもロクなことにはなっていません。(中略)この伝統は現在でも生きている。なぜ、このような伝統ができてしまったのでしょう。日本社会を考える場合、大変に興味深い。

 一方においては明治政府の偉大なる治績。維新以来の奇蹟的躍進、これは誰も否定できない。これが実体語の背景。しかも、前にも触れたように薩長藩閥は政権を独占し、強権をもって民権を弾圧する。その弾圧たるや、今日では想像もできないほどです。この先鋭な緊張関係から、政府は偉大だが国民が自由に攻撃し得ることも必要だとの要請が生まれる。そこで、空体語は必然的に、なにがなんでも政府が悪い、ということになり、政府の業績が大きくなればなるほど空体語のほうもエスカレートせざるを得ないわけです。そして、この構造は伝統として現在も生きているんですね。≫(168‐169頁)

著者たちは対談のなかで、大きな業績をなした内閣ほどマスコミからの非難にさらされ、何もしなかった内閣ほどもてはやされた、と皮肉たっぷりに語っている。

今日の、何が何でも安倍政権を批判しないと気が済まないという、朝○新聞や日刊ゲン○イなどのマスコミの姿勢は、実は明治時代にまでさかのぼる、根の深い問題であったのだ。

 

続く第三部「現代日本社会の成立と日本教の倫理」では、非西欧圏に属す日本でどうして資本主義が誕生しえたのかが議論される。

ここでポイントとなるのが、「崎門の学」だ。

「なんだそりゃ?」と皆さん思われるかもしれないが、著者たちによると、この崎門の楽こそ、日本の資本主義のエートスを生み出した原動力にほかならないのだという。著者たちはとりわけ、浅見絅斎(1652‐1712)という江戸時代の儒学者、および彼の主著『靖献遺言』に注目している。儒学者のテキストが、一体どうして資本主義のエートスを産みだすに至ったのか。詳しくは本著を読んでもらいたい。

日本の資本主義は、もちろん欧米とまったく同じというわけにはいかなかった。

一例を挙げると、資本主義は共同体の破壊の上に成り立つものであるにもかかわらず、日本の資本主義では会社が共同体として機能するようになってしまったのである。そのため、なんとも奇形的な資本主義となってしまったのだ。

※本著は2016年に復刊されたものだが、もともとの初版が発行されたのは1981年のことである。その当時はまだまだ『釣りバカ日誌』的な日本的経営の会社がたくさんあったのだろう。だが、現在ではどうか。今日、もはや年功序列&終身雇用といった、かつての日本的経営は過去のものとなった。この点、日本の資本主義は欧米のそれに近づいたと言えるのかもしれない。

 

本著を読んでいると、否が応でも、時代の差を感じざるをえない。

著者ふたりの対談が行われた1980年代といえば、日本経済の絶頂期。そのため、ふたりの間には「日本の資本主義が奇形的だとは言っても、これはこれでそれなりにうまく機能してるんだから、それでいいじゃないかw」的な、楽天的な空気がある。

今日では、もちろんそうはいかない。20年にわたるデフレに苦しんでいるこの国を、一体どうやって立て直せばいい? 

本著は、そんな今だからこそ、読まれるべき本だろう。

 

日本教の社会学

日本教の社会学