Furusawa Keisuke's blog

政治から映画、アニメ、将棋まで幅広く語ります。

書評『評伝 佐久間象山』

本日ご紹介するのは、マツケンの本である。

 

はい、皆さん。もう分かりますね。本ブログで「マツケン」といったら、松平健のことではありません。松山ケンイチのことでもありません。

本ブログで「マツケン」といったら、評論家の松本健一さん(1946‐2014)のことである。

今回取り上げるのは、そんなマツケンの『評伝 佐久間象山中央公論新社だ。

 

佐久間象山は、幕末の松代藩に生まれた。松代藩といえば、かの真田幸村(信繁)の兄・信之が開いた藩である。

象山は、子供のころから聡明であったらしい。やがて江戸に出て本格的に学問を学び、また時の藩主・真田幸貫にその才能を認められた彼は、藩の要職に就いてその能力をいかんなく発揮することとなる。

 

象山が遺した言葉に、以下のようなものがある。

≪予、年二十以降は、乃ち匹夫も一国に繋がりあるを知る。三十以降は、乃ち天下に繋がりあるを知る。四十以降は、乃ち五世界に繋がりあるを知る。≫(上巻55頁)

この場合の「一国」とは、日本ではなく彼の生まれ育った松代藩のこと。「天下」が日本のこと。そして「五世界」とは、アジア、ヨーロッパなどの五大陸のことだ。

なんと感動的な言葉だろう。信州生まれの思想家は、こうして自らが世界とつながっていることを実感するに至ったのだ。

 

象山には、理科系の素養があったようだ。彼は、数学こそあらゆる学問の基礎であると考え、数学を熱心に勉強したのである。

面白いのは、日記に毎日気温まで記入していた、という話。まだ温度計すら珍しかったこの時代、そんなことをしていたのは象山だけだ。

藩の要職に就いていた頃に書いた報告書のなかでも、彼は実に細かいところまで地形をよく見ている。こうした彼の鋭い観察眼が、ペリー来航時、役に立つこととなる。

もうひとつ、指摘しておくべきは、彼が後世でいうところの「天皇機関説」の先駆け的存在であったということだ。こうしたドライな天皇観を持つことができたのも、彼の理科系の素養が関係していたのかもしれない。

 

これも、おそらくは理科系の素養と関係しているのだろうが、彼はまた、政治的な意味での現実主義者であった。

彼は、無謀な攘夷など支持しなかった。そのかわりに彼が考えたのが、「夷の術を以って夷を制す」という発想である。

ここに、象山の凄さがある。この発想は、極めて応用範囲が広い。

僕は以前、象山のこの発想を「脱ヲタ」にたとえたことがある。改めて述べるとしよう。

リア充を、当時猛威を振るっていた欧米列強に、彼らによって迫害されるオタクを、日本をはじめとするアジア諸国になぞらえて考えればよいのだ。

オタク(日本)は、このままではリア充(列強)によっていじめ(植民地化)られてしまう。そこでオタクは、たとえばファッションをより洗練されたものにする、コミュニケーションスキルを磨く、などの必要に迫られる。これが、脱オタ(近代化)である。

そんなの嫌だと言っていつまでもオタクの世界に引きこもって鎖国いては、リア充の脅威から解放されることはない。

リア充エートス(行動のパターン)を身につけることによってはじめて、オタクは「リア充の術を以ってリア充を制す」ことができるのである。

象山の発想は、このように現代でもなお応用が利くのだ。

 

象山は、幕末期においていち早く、ナショナリズムの観点から日本を守ろうとした。当時はまだ「日本人」というよりも「○○藩の人間」という意識のほうが強かったにもかかわらずだ――上に引用した文で象山が松代藩を「一国」と呼んでいるのを思い出してほしい

幕閣をはじめとする当時の保守的な人々は、僕の目には、今日の保守的な日本人とダブって見える。この場合の「保守的な日本人」というのは、靖国神社云々とは関係ない。「今まで通りのやり方で、これからもやっていけるだろう」などと無根拠に思い込む人々のことである。

今日の日本は長引くデフレの影響で、あれよあれよという間に転落しつつあるが、こうした現状に危機感を持つ人は、とくに高齢層では、まだまだ多いとはいえない。

今こそ、ナショナリズムの観点から、日本を救うために抜本的な改革を訴える、佐久間象山のような人間が求められているのではないか。

 

評伝 佐久間象山〈上〉 (中公叢書)

評伝 佐久間象山〈上〉 (中公叢書)

 

 

余談ながら。

松本さんは、かつて『求志洞遺稿』という本のなかで象山自身の筆による文章を見つけたとき、象山という思想家の気概に感じ入った、と言う。

そして、こう述べている。

≪それは、死者が生者(わたし)を捉えた瞬間であったのかもしれない。≫(下巻313頁)

「死人に口なし」という言葉がある。

そんなの嘘だ。死人に口なしどころではない。死者はときに雄弁であり、生者以上に生者のふるまいを強く規定する。

死者からの声に敏感な人が、本当の意味での<霊感>のある人である。やはり松本さんは、<霊感>の強い人だったのだろう。

 

評伝 佐久間象山〈下〉 (中公叢書)

評伝 佐久間象山〈下〉 (中公叢書)