Furusawa Keisuke's blog

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書評『明治天皇』

ある酒の席でのこと。リベラル派の知人が、「明治天皇なんて、偉い偉いって言われてるけど、ありゃただのお飾りじゃん」と言った。

僕は、少しばかりムッとなって、「それをいうなら、天皇に限らず、人間なんて誰でもみんな“お飾り”なんだ。明治天皇はむしろ“お飾り”としての立場を生涯にわたって全うした。あんなに“主体的”に生きた人を、僕はほかに知らない」という趣旨の反論をしたと記憶している。

 

本日ご紹介するのは、そんな明治天皇の評伝。タイトルもずばり『明治天皇(新潮社)だ。

著者は、ドナルド・キーンさん。アメリカ出身の日本文学者であり、東日本大震災を契機に日本国籍を取得したことでも知られる。

 

明治天皇』は全四巻。まずは第一巻から見ていくとしよう。

明治天皇の評伝だというのに、この巻ではまだ明治天皇の影は薄い。それもそのはず、このころの明治天皇はまだ少年にすぎず、政治の中心にいたのは、彼の父・孝明天皇であった。この巻の事実上の主人公は、したがって孝明天皇だ。

皮肉なのは、なにかにつけて「尊王」「倒幕」と口にしていた尊王攘夷派の志士たちの思惑とは裏腹に、当の孝明天皇自身は公武合体派、つまり「朝廷と幕府とで力を合わせてこの難局を乗り切ろう」という立場であり、倒幕派ではなかったという点だ。

志士たちにとって孝明天皇は、言い方は悪いが“抵抗勢力”であったのだ。同じ事態が、大東亜戦争前夜、昭和天皇青年将校らとの間で反復されることになる。

さて、この時代、明治天皇はどのような少年であったのだろう。

宮廷では、顔におしろいを塗り、女児と同じ格好で、女官に囲まれながら生活していたという。ところが一方で、少年期の明治天皇は腕白小僧でもあり、同世代の少年たちを殴ってばかりいた、との逸話も伝えられている。それも、本来ならば天皇の栄誉を高めるために編纂されるはずの雑誌や書物のなかに、そうした逸話が見られるのだという。どうして、わざわざそんなことを書いたのだろう。

キーンさんは、天皇の男らしさを強調するために、あえてそうした記述を入れたのではないか、と推察している。

なるほど、と思った。明治国家は天皇に、男性性を強く求めたのだ。

さて、言っちゃ悪いが影の薄かった明治天皇も、父・孝明天皇崩御にともない、新天皇へと即位する。明治天皇が、ようやくこの本の主人公となった。

五カ条の御誓文発布の日、同時に天皇の告諭が公表された。これを評して、キーンさんはこう言う。

≪自分は今、天皇としての受け身の役割を捨て、国のため、天下万民のために積極的に行動に乗り出すつもりである、と天皇は言う。これは今まさに起こりつつある大変動に際して、天皇が国民に向けて訴えている協力の呼びかけにほかならない。一般国民の協力が不可欠である、などということは明治天皇以前の天皇の誰一人として思ってもみなかったことであったに違いない。≫(一巻378頁)

かくして明治天皇は、北一輝言うところの「国民の天皇」となったのである。そういえば、天皇制に対してあれほどドライな態度を取っていた北も、明治天皇個人に対しては尊崇の念を隠さなかった。

 

明治天皇〈1〉 (新潮文庫)

明治天皇〈1〉 (新潮文庫)

 

 

第二巻は、東京奠都以降の明治天皇と日本の歩みを描く。

それまで宮廷にこもりっきりだった明治天皇も、この時代に入るや一転、日本各地を行幸するようになる。まだ若かった天皇は、きっと鳥かごから解放された鳥のような気持だったに相違ない。

私事で恐縮だが、僕自身、20歳くらいの若いころに、青春18きっぷや高速バスを利用して、日本全国を旅してまわった経験がある。とてもワクワクした。今思い出しても、とても楽しい思い出だ。

一方で、明治天皇にとってこの時期はまた、これまで自分を育ててくれた西郷隆盛はじめ側近たちが、次々と戦死ないし暗殺されてしまうという、暗い時代でもあった。楽しさと辛さ、その双方が同時に明治天皇のもとに訪れたのだ。

本巻ではまた、外国の要人が明治天皇を訪れる場面も描かれている。はるばるハワイ(!)から王族が訪れたことや、アメリカのグラント将軍が来日、意外にも民衆から歓迎されたという話も紹介されていて、とても面白い。つい十数年前まであれほど「攘夷!」と連呼していたはずの日本人が、どうして手の平を返すようにアメリカの将軍を歓迎したのだろう?――僕が思うに、答えは日本が山本七平さん言うところの「空気」の支配する国だからである。

本巻では、自由民権運動の活動家・植木枝盛の話も出てきて、とても興味深い。植木には狂的なところがあり、自分は天皇になったと思い込んでいた。こうした彼の狂気について、キーンさんは天皇に対するこの執着は、反君主制感情の裏返しだったのではないかと思われる≫(二巻476頁)としているが、さてどうだろう。僕はむしろ、天皇が好きすぎるあまり、そうしたイタイ言動を取ってしまったのではないか、と推察しているのだが。

 

明治天皇〈2〉 (新潮文庫)

明治天皇〈2〉 (新潮文庫)

 

 

第三巻。いよいよ日本は日清戦争へと突入。激動の時代がやってきた。

明治天皇個人にとっても、この時期、とても悲しい出来事があった。

明治天皇の“公式の母”・英照皇太后崩御したのである。

“公式の母”とは、一体どういうことか。明治天皇の実母は、孝明天皇側室中山慶子であった。が、公式には、孝明天皇正室であるこの英照皇太后明治天皇の母とみなされていたのだ。

たとえ血のつながりはないとはいえ、明治天皇はこの“母”に死に際し、涙を流したという。キーンさんは明治天皇は、これまで「感泣」する男たちに取り巻かれることが多かった。しかし、天皇自身が泣くのは滅多にないことだった。≫(三巻426頁)と書いている。

≪「感泣」する男たちに取り巻かれることが多かった≫という記述が目に留まる。キーンさんは他の箇所でも、昔の男は意外にもよく泣いた、と書いている。上のほうで、明治国家は天皇に、男性性を強く求めたと書いたが、その「男性性」の内実が、今日のそれとは若干異なる点に、注意が必要だろう。

昔の男は、意外にもよく泣いたのだ。

 

明治天皇〈3〉 (新潮文庫)

明治天皇〈3〉 (新潮文庫)

 

 

最終巻。日露戦争伊藤博文暗殺、日韓併合、そして崩御……。明治という時代は、激動のクライマックスを迎えようとしていた。

と言っておいてナンだが、僕にはどうしても、明治天皇の日常の些細な点のほうがむしろ気になってしまう。

明治35年(1902年)典侍の室町清子という女性が亡くなった。明治天皇はこの女性を親しみを込めて、あえてブサイクという意味の「阿多福(おたふく)」という京ことばで呼んでいた。

≪ここで天皇が「阿多福」という言葉を使っているのは、他の逸話が常に天皇の言葉を標準語で伝えているにも拘らず、なお天皇が私生活で京言葉を話していたことを示唆するものである。≫(四巻49頁)

明治天皇の言葉が京言葉、つまり関西弁の一種というのは、面白い。映画でもドラマでも、映像の世界に現れる明治天皇は決まって標準語で話すので、それが当たり前のような気がしていた。が、確かに考えてもみれば、明治天皇は京都生まれの京都育ちなのだから、日常で話す言葉も、したがって京言葉だったのだ。

明治天皇は大酒飲みだったせいか、その晩年――といってもまだ60代であったが――には病に苦しめられることも多かった。崩御の場面は、なんとも痛ましい。

ラスト、明治天皇の葬送が描かれて、全四巻にわたったこの評伝は幕を閉じる。

葬送の場面は、圧巻だった。あぁ、やっぱりこの国は天皇の国なのだなぁ、自分はこの天皇の国に生まれてよかったなぁ――普段、おおよそ皇室に対する尊崇の念の薄い僕のような戦後生まれの人間ですら、そう思わずにはいられなかった。

 

明治天皇〈4〉 (新潮文庫)

明治天皇〈4〉 (新潮文庫)

 

 

この本もオススメ! BOOK GUIDE

・『昭和天皇』全7巻文藝春秋

こちらは明治天皇……ではなく(w)、そのお孫さんの、昭和天皇の評伝。著者は、文芸評論家の福田和也さんだ。

本著を読んでいると、「昭和維新」をスローガンに掲げた青年将校たちにとって、一番の“抵抗勢力”はほかならぬ昭和天皇だったことがよく分かります。

 

昭和天皇〈第1部〉日露戦争と乃木希典の死

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