Furusawa Keisuke's blog

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書評『大川周明』

“マツケン”こと、評論家の松本健一さん(1946‐2014)による、戦前の思想家・大川周明をテーマとした著作である。

先日取り上げた『評伝 佐久間象山』はまさしくタイトルのとおり評伝であったが、では本著はというと……評伝ではない。

つまり、大川の生涯をその生誕から最期まで描いていくという記述のスタイルでは、必ずしもないのである――ただし、大まかに彼の生涯が概観される

本著はかわりに、大川の思想の要点を松本さんが逐一解説していく、というスタイルを採っている。

評伝ではないので、北一輝佐久間象山などの評伝と比べると、やや読みづらいかもしれない。

 

今日、アジア主義の最大の思想家のひとりとして知られる大川は、意外にも、まず西洋哲学に触れるところから、その思想遍歴をスタートさせた。

やがてインド哲学へとその関心を移したが、当時の大川はまだ一介の哲学徒に過ぎなかった。彼が思想家であると同時に活動家にもなったのは、イギリスによるインドの植民地支配を糾弾する内容の書物を読み、強い衝撃を受けてからのことである。彼が自らの祖国・日本の思想に関心を傾けるようになったのは、さらに後の話だ。

今日、右翼の巨頭と目されている大川が、最初は日本(の思想)への関心が薄かったというのは、なんとも意外であり、また皮肉な話でもある。

 

彼の最大の友人にしてライバル・北一輝との関係もまた、とても興味深い。

大川は北を迎えるため、わざわざ上海まで赴いた。北の帰国後は、政治結社猶存社をつくり、ともに仕事をした。だが「両雄並び立たず」とはよく言ったもので、この強い個性を持ったふたりの活動家は、しまいには仲たがいしてしまう。

それでも、ふたりの仲が完全に決裂したのかというと、どうやらそうでもなかったようだ。

≪しかし、北はそんな些末な出来ごと(註:弟子の西田税が大川のグループと決別し、しまいには血盟団によって銃撃されたこと)には心を迷わされていないようにみえる。それどころか、五・一五事件連座した大川の身を案じているのである。二・二六事件のときに大川がする心配を、五・一五事件のときには北が大川に対してしていた。刎頸の友というのは、まさにこういう関係を指しているのだろう。≫(280頁)

こうしたふたりの仲に、ある種BL的な関係性すら想起してしまうのは、僕だけだろうか(……うん、僕だけですね分かります)

 

本著では、大川の思想や生涯からはすこし話がそれるが、小説家・松本清張による戦前右翼を扱った評伝のデタラメぶりが、仮借なく批判されている。

言うまでもなく松本清張は著名な小説家であるが、少なくとも彼の戦前右翼研究については、これを信用すべきではないようだ。

 

さて、本著の記述はいよいよクライマックス、東京裁判へと向かう。

大川といえば今でも話題にのぼるのが、東京裁判での「発狂」である。

はたして、これは本当に発狂だったのか。それとも、ただの詐病に過ぎなかったのか。

いまだに議論があるが、松本さんは、大川は本当に発狂していた、という見解をとっている。のみならず、彼の病名は「進行性麻痺という梅毒性の脳病」だとまで踏み込んで書いている。

 

一時は理性を失い、法廷で東条英機の頭をペチンと叩くという奇行すら見せた大川は、しかしながら治癒し、元の理性を取り戻した。

僕は昔、大川はニーチェのように発狂してそのまま死んだものとばかり誤解していたが、そうではなかった。東京裁判後に、ちゃんと治ったのだ。

本人曰く、発狂している間は「二日酔いのような感覚」であったらしい。

鋭敏な理性の持ち主が、いったん理性を失ったのちにそれを取り戻し、理性を失っている間の感覚を回想するというのは、なかなかに例のないことである。とても興味深い箇所だ。

 

本著の終章では、大川のイスラーム観が解説される。

松本さんは、大川は世界宗教であるイスラーム教に、国民国家を超える可能性を見出していたのだ、と書いている――この点、イスラーム法学者・中田考さんの考えと共通する

右翼として知られる大川の夢は、意外や意外、国民国家を超越することにあったのだ。

 

さて、本著を通読して、ひとつ、気に留まる箇所があった。

大川は発狂中、白昼夢のなかでなんと預言者ムハンマド(!)と会話したのだという。なんともスゴイ話だが(^^;)、たしかにありうる。人間は異常心理状態になると、そういった幻覚を見るものらしい。たとえば曹洞宗の僧侶・南直哉(みなみ・じきさい)さんは著書のなかで、座禅している間に釈迦と対話をしたという禅僧の話を紹介していた。

松本さんも「そのことじたいはさして異とするに足りない」と実にクールに述べたうえで、こう続ける。

≪一事に想いを詰めれは原文ママ夢中にその幻像を視ることは往々にしてあることであり、またそのくらいでないと想い詰めたことにならないからである。≫(471頁)

あきらかに、松本さん自身にも同様の経験があった、と見える。

彼も、夢のなかでおそらくは北一輝あたりと会話したことがあるに違いない。

松本さんにはやはり、一種の<霊感>があったのだろう。

 

大川周明 (岩波現代文庫)

大川周明 (岩波現代文庫)