Furusawa Keisuke's blog

政治から映画、アニメ、将棋まで幅広く語ります。

書評『開国のかたち』

先日に引き続き、本日も“マツケン”こと評論家の松本健一さん(1946-2014)の著作をとりあげるとしよう。

『開国のかたち』岩波書店である。

 

本著は、もともとは雑誌での連載であったものを、一冊の書物にまとめたものだという。そのため各々の章に、ある程度の独立性があり、どこから読み始めても構わない。

とはいえ、各章を通じた大まかな流れはあり、それは幕末の開始を告げるペリー来航から始まる。そこから明治維新にいたるまでの激動の15年間――そう、たったの15年しかないのだ。平成の半分!――を、本著は描いている。

 

どれもこれも、実に興味深い章ばかりだが、個人的にひときわ興味を惹かれたのは、「維新運動に女性が登場しないのはなぜか」と題された章だ。

考えてみれば、確かにそうだ。一体どうしてだろう。

松本さんは、こう書いている。

≪男というものは社会的な存在であって、法や、制度や、志や、イデオロギーなどによってみずからを支えなくては、生きてゆけない。それらのものに手もなく乗せられる、といってもよい。

 ところが、女というものはより自然的な存在であって、法や、制度や、志や、イデオロギーなどというものより、生活のほうが大事である。生活は、じぶんの好きな男との生活であり、もっとつきつめていうと、じぶんの肉体とつながっている子どもとの生活である。≫(300‐301頁)

もちろん安易な一般化は慎まなければならないが、僕には松本さんの言うことが、とても腑に落ちる。

本ブログでは以前、『サラエボ、希望の街角』という映画を取り上げたことがあるサラエボに暮らすムスリムの夫婦が主人公で、夫が最初は世俗的だったのに、次第にイスラーム過激派の思想に感化され、ついには世俗的な妻と離婚してしまうという話だった。

松本さんの言うとおり、夫は「イデオロギーなどによってみずからを支えなくては、生きてゆけない」が、「より自然的な存在」である妻は日常に留まる。まったく同様の構図の映画として、『ある朝、スウプは』という日本映画を挙げることもできる。

松本さんの言うことをまとめれば、男は観念的であるがゆえに、過激な倒幕運動に身を投じることができたのだ。

 

それだけではない。松本さんはもうひとつ、重要な指摘をしている。

≪わたしにいわせれば、女性勤皇家という言葉それじたいが、ある論理矛盾をふくんでいるのである。これは、まず第一に、女性がより自然的な存在であるから、尊攘の志や国体イデオロギーなどとは遠い、ということである。

 そして、それと同時に、尊王攘夷運動や国体論において問題になる天皇が、その本質において女性格だから、である。天皇制は、とくに徳川時代にはいって、“米づくり”の国の祭祀をつかさどるシステムになった。つまり、日本にあっては、人間を活かしてくれる自然の中心に米がある。米は豊穣、産む力の根源的存在であり、そうだとすれば、その“米づくり”の祭祀をつかさどる天皇が産む力の女性格を引き受けようとするのは、当然のことであった。≫(301‐302頁)

かつての日本では女帝もいたが、近代になって以降は、天皇は男子に限られている。それもただの男子では駄目で、「男系」の男子であることが求められる。

このように皇統から女性を排除しているので、天皇はきわめて男性的な存在なのかと思いきや……そうではないのだ。

松本さんは、天皇は「本質において女性格だ」と見ている。卓見というべきだろう。

不敬を承知であえて僕なりの言葉に言い換えれば、前近代における天皇の本質は「男の娘」であった、ということである。

 

松本さんはさらに、こうも書いている。

≪日本における勤皇家、もっといえば志士は、この女性格の天皇のために、ひたすら力を尽くすのである。それが「皇国」における忠誠心(ロヤルティ)というものだった。それゆえ、女たちが女性格の天皇に恋い焦がれる(「恋闕」)という精神構造は、本来的に成立しないのである。女性格の天皇に恋い焦がれ、いっしょうけんめい力を尽くすのは男ばかりでよいのである。≫(302頁、恋闕は原文では「れんけつ」とルビあり

志士たちの天皇への忠誠は、ただの臣下の国王への忠誠というのとは違う、男から女への愛に似た感情だったというのだ。これは、ロマンティック・ラブの起源が、中世南欧における騎士から貴婦人への――つまり身分が下の男性から身分が上の女性への――愛であったことを考えると、とても興味深い。

ただ一点、松本さんに反論したいことがある。

松本さんは「女性格の天皇に恋い焦がれ、いっしょうけんめい力を尽くすのは男ばかりでよい」と当たり前のように書いているが、ではレズビアンの女性活動家が女性格の天皇に恋い焦がれる、という事態は考えられないのか。

十分に、有り得ることだ。

 

開国のかたち (岩波現代文庫)

開国のかたち (岩波現代文庫)