Furusawa Keisuke's blog

政治から映画、アニメ、将棋まで幅広く語ります。

書評『一九四六年憲法――その拘束』

保守の人たちからお叱りを受けそうなことを初っ端から言ってしまうが、僕は憲法9条は“今は”変える必要はないと思っている。

いやもちろん、憲法9条は変えたほうがいいと思ってはいる。

「どっちだよっ!(w」とツッコミを入れられてしまいそうだが、僕が言いたいのは、世の中、順番が大事だということだ。

今、我々にとっての喫緊の課題は、20年間にわたってこの国を苦しめてきたデフレから脱却することである。それが成し遂げられたら、その次こそいよいよ憲法改正だ。

繰り返しになるが、順番を間違えてはいけない。デフレ脱却も憲法改正も、どちらも極めて重要な課題だ。だが今は、デフレ脱却のほうに政治的リソースを投入すべき時なのである。

 

……失礼、前置きが長くなってしまった。というわけで本題。

本日ご紹介する本は、文芸評論家・江藤淳さん(1932-1999)の『一九四六年憲法――その拘束』文藝春秋である。

先日取り上げた『閉された言語空間』と同様、本著でも、江藤さんはかつてのGHQによる検閲や日本国憲法制定の舞台裏へと迫っていく。

 

江藤さんにとって最大の武器といえるのは、なんといってもその高い英語力。彼は、おそらくは政治的な理由によってなされたであろう、不正確な翻訳をどんどん白日のもとに晒していく。

たとえば、GHQ高官と日本政府要人とのやりとりを記録した『日本国憲法制定の過程・I原文と翻訳』有斐閣。江藤さんによれば≪おそらくあの現行憲法に対する“タブー”が暗々裡に作用しているために、ことさらに婉曲かつ不正確な翻訳がおこなわれて≫(40頁)いるという。どういうことか。

たとえば“whereupon General Whiney quietly ovserved to him. 'We are out here enjoying the warmth of atomic energy.'”という一節。これを上掲本は「その際ホイットニー将軍は、物静かに『われわれは、戸外で原子力の起す暖〔=太陽の熱〕を楽しんでいるのです』と言った」と訳している。

ホイットニー将軍の言うatomic energyとは太陽の熱のことですよ、安心してくださいね、とわざわざ〔=太陽の熱〕という注釈まで加えて説明しているわけだが……。言うまでもないだろう。ここで将軍は、わざわざatomic energyという語を使って日本政府要人に原爆を想起させ、心理的圧迫をかけているのである。

こうした、おそらくは意図的な“誤訳”を指摘できるのも、英語に堪能な江藤さんならではであろう。

 

GHQがかつてこの国にしたことを明るみに出そうとする江藤さんは、はたして「反米」なのだろうか。

そうではないだろう。彼は、ただ闇雲にアメリカに反発しているのではもちろんない。

江藤さんは本著のなかで、アメリカ、日本の右派と左派の三者が、一見すると三つ巴の対立構造のなかにいるように見えるが、実は相互依存の関係にあることを指摘している。

 ≪もしこの関係を平面的に把えるなら、そこに浮び上るのは防衛負担の増大を要求しつづける米国と、その声に応じて兵器・航空機等を米国から購入し、自衛隊の漸進的強化に努めて来た保守党政権、これに終始反対して非武装中立・護憲・安保破棄を叫びつづける革新政党、という見馴れた構図にすぎない。≫(89頁)

ところがところが。

≪表向き防衛負担の増額を求めている米国は、決して日本が実際に「固有の自衛権を行使」できないことを知っており、三次防から四次防へと、着々自衛隊の増強をはかりつつあるかのような日本政府は、対米貿易の黒字減らしを期待しているとしても、ゆめにも米国から買入れたF15等を用いて戦うことを予期していない。全く同様に、非武装中立・安保破棄を唱える革新側もまた、日本の保有する「戦力」が、その「自衛権」と同じ抽象的な「戦力」に過ぎず、実はものの役に立ちかねることを百も承知しているはずなのである。≫(91頁)

こうした指摘は、実に興味深い。二項対立とは――この場合は「三項対立」とでも言うべきだろうが――一見すると対立しているように見えるが、実は両者とも暗黙の前提を共有している、という図式のことだったのである。このようなモノの見方に慣れておくと、社会を観察するときに、とても役に立つ。

 

さて、これから先、日本はどのような道を歩むべきだろう。

意見が分かれるところだろうが、僕は、日米一体化しかない、と思っている。

専制的な帝国主義国家である中国・ロシアに対峙するにあたって、日本一国では残念ながら力が足りない。どうしても、米国の助けが必要だ。

「対米従属反対!」「真の独立を!」と叫ぶ人も多いが、現実主義的観点から国力の限界を補うべく米国との同盟を強化するのは、独立国として、決して間違った態度ではない。

実のところ江藤さんも、本著のなかで日米同盟そのものが不要だなどとは一言も言っていないのである。江藤さんによれば、日本が憲法を改正して、交戦権という国家の権利を回復することができれば……

 ≪日米同盟は、当初からの占領の継続という色彩を一切払拭して、自由な主権国家間の同盟に変質することができる。日米間のそのような自由な同盟は、米国を知る日本人にとっての永年の夢であった。その夢は、あるいは今後の日米両国の努力如何によっては、実現できないとはいえないのである。≫(104頁)

現在、幸いなことに日米首脳の関係はネット上でBLネタが話題になるほど極めて良好である。これから先、日米同盟をどう発展させ、対等な大国同士の成熟した関係へと進化(深化)させることができるか――我々に課せられた宿題だろう。