Furusawa Keisuke's blog

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書評『「悟り」は開けない』

本日取り上げる著作は、本ブログではもはやおなじみ(w)曹洞宗の僧侶・南直哉(みなみ・じきさい)さんの『「悟り」は開けない』ベストセラーズだ。

 

本著は、さながら「南直哉総集編」とでもいったところか(w)。彼の仏教解釈や座禅体験、人生訓などが、そう厚くもない一冊の新書のなかにまとめられている。

以前本ブログでも取り上げた『善の根拠』などの難解な著作を、話し言葉に直して、もうすこし分かりやすく解説したような感じの本だ。それでいて、南さんが自らの仏教解釈を明らかにするわけだから、内容は相変わらずハイレベルである。

これからは、南さんの本をまだ読んだことがないという人には、まず本著から読むことを薦めようと思う。

 

本著はのっけから面白い。

仏教では生老病死は四苦と呼ばれ、若き日のブッダはこの四つの苦しみに触れて出家を決意した、と伝えられている。だが南さんは、ブッダ老いるのが嫌だから、病気になるのが嫌だから、死ぬのが嫌だから出家したのではないという。

え!?

南さんの言うことは、つまりこうだ。

右と左は、相互依存の関係にある。右があるから、左がある。左がなければ、右もない。

生もこれと同じだ。生の否定、つまり老病死があるから、はじめて生がある。ブッダは老病死を知ることで生を知り、「この生とは一体なんなんだ!」と悩んだからこそ、出家したのである(と南さんは考える)

なるほど、そんな見方もあるのか、と目からウロコが落ちるような思いがした。南さんの本を読んでいると、ウロコが何枚あっても足りない。

 

仏教は、実に多種多様である。

同じ仏教と言えども、大乗仏教上座部仏教があり、大乗のなかでも、たとえば曹洞宗浄土真宗とでは、これが本当に同じ仏教なのかというくらい、全く異なる。

南さんに言わせれば、しかしながら、仏教の各宗派は、「答え」(教義)は違くとも「問い」は同じなのだという。

それは「生の苦しみとは何か?」という問いであり、それに対する答え、というか、処方箋が各宗派によって異なるだけなのだ。

なんと分かりやすい説明だろう!

 

南さんはときに、「こんなこと、本当に言っちゃっていいのかしら……(;^ω^)」と読んでるこっちが不安になるようなことまで言ってしまう。

たとえば、因果と輪廻。

どちらも仏教にとって極めて重要な教義のはずなのだが、南さんは、因果は必要だとしながらも、輪廻なんていらない、とバッサリ切って捨ててしまう。輪廻はあくまで仏教教団がインドの民衆に教えを説くための「処世術」に過ぎなかった、だから今となってはもはやいらない、とまで言う。

ゴータマ・ブッダ自身が生前説いていようといまいと、これは仏教にとって本筋の教えでも大事なアイデアでもありません。「輪廻」説は仏教に要りません。我々はまさにそれから「解脱」すべきでしょう。≫(91頁、太字部分は引用者強調)

ブッダ本人が言ったとか言わなかったとか、そんなの関係ない、輪廻なんて仏教にいりません! ……仏教者なのにそう断言してしまう南さんは、本当に凄い。凄すぎる(^▽^;)

 

本著中盤では南さんの仏教解釈が語られる一方、後半になると、介護や「自分探し」など、より具体的な社会問題が語られるようになる。

曹洞宗の気鋭の僧侶として知られた南さんも、今年でいよいよ60歳である。

本著後半は、南さんから若い世代へのメッセージ、といった性格が強い。

若い人たちにこそ読んでほしい、そんな一冊だ。

 

「悟り」は開けない (ベスト新書)

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