Furusawa Keisuke's blog

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書評『お釈迦さまの脳科学』

本日ご紹介する書籍は、苫米地英人さんの『お釈迦さまの脳科学小学館である。

苫米地さんという人は実にマルチな才能を発揮しているので、肩書をどう紹介すればいいか迷うところだが(^▽^;)、とりあえずここでは認知科学者、ということにしておこうか。

そんな認知科学者・苫米地さんによる本作。タイトルに「お釈迦さま」とあることから分かるように、苫米地さんが自らの仏教解釈を明らかにする、という内容の本である。

 

のっけから面白い

かつてのテレビ業界ではオカルトネタが人気があり、たとえば冝保愛子さんといった霊能力者が多数出演していた。オウム事件以降、そうしたオカルトネタはいったん下火になったものの、やはりオカルトネタの需要は大きかった。今度は「スピリチュアル・ブーム」と模様替えして放送されるようになったのである。この波に乗ったのが、細木数子さんであり、江原啓之さんであった。ところがそれも批判されるようになると、今度はスピリチュアル・ブームの代替物として「脳科学」が注目されるようになったのである。こちらの波に乗ったのが、茂木健一郎さんだ。

かくしてテレビ業界は「オカルト→スピリチュアル→脳科学」という具合に手を変え品を変えてきたものの、本質的には一貫して視聴者からのオカルトネタの需要にこたえつづけてきたのである。

……という苫米地さんの指摘は、僕には、なるほど、そうだよなぁ、と納得できるものだった。

 

苫米地さんは、オカルトに否定的である。

と書くと、彼のこれまでの活動をよく知る人からは「ちょっと待った! 苫米地って、昔、聞くだけで胸が大きくなる音楽とか作ってた人でしょ? アレこそオカルトじゃないの!?」と反論されるかもしれない。

確かに、率直に言って、苫米地英人という人は、かなりトンデモすれすれの危うい領域で勝負している人である。だが彼は、自らをオカルト否定論者だと言うのだ。

 

苫米地さんは、科学的に「ありえないこと」と「説明がつかないこと」は別だ、としている。

科学的にありえないことというのが、これすなわちオカルトである。苫米地さんはこの例として「霊魂が物理的に存在する」という言説を挙げている。苫米地さんによれば、≪仮に人間の身体の中に魂があったとしても、死んで身体から出たとたんにエントロピーの法則で3日もすれば地球上に拡散してしまうから≫(42‐43頁)この言説は科学的にありえないのだという。

反対に、科学では説明がつかないことの例として、気功による治療を挙げている。気功は≪科学的に説明がつかないだけで、ありえないこととは言えないのです。もしかすると、気功師と患者との間で量子レベルでの通信がおこなわれて、患者の脳に病気が治るよう働きかけているのかもしれません。可能性としては否定できないでしょう。≫(43頁)

僕らのような凡人には、霊魂が存在するという話も気功による治療も、どちらもトンデモに思えてしまうのだが、苫米地さんはこれらふたつの間に線を引くのだ。ここに、彼の独特のバランス感覚を見ることができる。

 

苫米地さんの、煩悩に関する考え方もまた面白い。

僕はこれまで、煩悩をなくすのが仏教の狙いだと思っていた。ところが苫米地さんによると、煩悩をなくすなんてそもそも無理であり、煩悩をコントロールすることこそが仏教の狙いなのだという。

煩悩をコントロール

苫米地さんは、たとえば、小さな煩悩ではなく大きな煩悩を持つべき、と提案している。

小さな煩悩というのは「自分さえよければそれでいい」というエゴイスティックな発想だ。当然、これでは自分以外の周囲の人間は幸せになれない。これに対し、「自分を含めた自分の周りの人たち」「地域の人たち」「日本にいる人たち」「世界の人たち」という具合に、どんどん煩悩の主体を大きくしていくと、自分以外の人々も幸せにすることができる。これが、苫米地さん言うところの大きな煩悩なのだ。

なるほど、そんな考え方もあったのか、と目からウロコが落ちた。仏教の関連書を読んでいて目からウロコが落ちたのは、南直哉さんの本以来だ。

 

密教についての話も良かった。実は苫米地さん、なんと天台宗で得度し、僧籍(!)もあるというから驚きだ。

苫米地さんによると、密教は人々に「この世は幻」だと分からせるためにあるのだという。≪言葉だけで空を説明するより、実際に幻を見せて、「超能力が成り立つのは、この世の現実もすべて幻(空)だからです」と教える方が、はるかに説得力があるでしょう。≫(161頁)

ここでポイントなのは、こうした物言いは大乗仏教の「空」概念をきちんと学んだ人に対してこそ有効だということだ。そうでない人がいきなり密教に触れた場合、ただのオカルティストになってしまうおそれがある。現にオウム真理教はそうなった。

チベット仏教では、実に20年もの長い時間をかけて、まず「空」概念を学ぶという。そして、「空」をきちんと理解してはじめて、密教に触れるのだという。この順番であれば、誤解が生じるおそれがないからだ。

なるほど。これまた、目からウロコが落ちた。これから、苫米地さんの本を読む際には、事前にウロコを何枚も用意しておかないといかんね。

 

苫米地さんの話は、ときに「オイオイ、大丈夫かよ……(;^_^A」と心配に思うこともあるが――たとえば、般若心経の最後のマントラ(「ぎゃーてーぎゃーてーはーらーぎゃーてー」ってアレ)が古代シュメール語起源という話は、正直どうかと思う――オリジナリティーにあふれており、とても興味深いし、現代科学になじんだ我々現代人には、科学者である彼の話はなんとも腑に落ちるものである。

少なくとも、茂木サンよりかは、僕は苫米地さんのほうを断然買っている。