Furusawa Keisuke's blog

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書評『ベラボーな生活』

現役のお坊さんにして初めて芥川賞を受賞したという、一風変わった経歴の持ち主が、臨済宗の僧侶・玄侑宗久(げんゆう・そうきゅう)さんだ。

本日取り上げる『ベラボーな生活 禅道場の「非常識」な日々』朝日新聞社は、そんな芥川賞作家・玄侑さんによるエッセイ。玄侑さんが修行僧時代に体験した様々なできことを一冊の本にまとめたものである。

なお、本ブログでは以前、玄侑さんと曹洞宗の僧侶・南直哉(みなみ・じきさい)さんの対談本『<問い>の問答』を取り上げたことがある。

 

本著は、おそらくは雑誌での連載をまとめたものなのだろう、数ページほどの短い章のあつまりで構成されており、とても読みやすい。そのうえ玄侑さんの話術は実に巧みときているから――さすが芥川賞作家w――スイスイ読み進めることができる。

以下に、面白かった話をいくつか挙げるとしよう。

 

禅僧は、歩くのがとても早いのだそうである。

普通、成人の歩行スピードはだいたい時速4キロ、早い人でも6キロくらいだろう。ところが禅僧は、平気で時速8キロくらいで歩くというのだから、驚いてしまう。

歩くこともまた、修行のうちなのだ。

そんな彼らを支える食事は、普段は質素そのものである。食べる量だって、決して多くはない。

てっきりいつもそうなのかと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。

人間、あまり食べないでいると、胃がどんどん小さくなってしまう。そうなると身体にも良くないため、胃の大きさをある程度に保つべく、禅僧はときに、ドカンと大量に食べることもあるのだという。

このとき食べられるのが、うどんだ。

なるほど、うどんならば一度にたくさん食べても、胃がもたれることがない。

というわけで、玄侑さんに言わせると禅僧は100%、うどんが大好きなのだそうである。そういえば南直哉さんも、立ち食いうどんに目がないと自著に書いていたっけ。

付け加えるなら僕も、平日の昼食はいつも職場近くのうどん屋で済ませている。だってコストパフォーマンスいいも~んw うどん、いいよね~ww

 

「ドヤシ」の話も面白かった。

ドヤシとは何ぞや。たとえば、エラ~イお坊さんが外出しているときなどに、若い修行僧たちが思いっきり羽目を外して騒いで遊ぶことを、ドヤシというのだそうである。

このドヤシのときには、下界からお菓子や酒などを買ってきてどんちゃん騒ぎをやるというのだから、我々の抱く禅寺のイメージとはずいぶん異なる。

そのドヤシの次の朝は、たっぷりと寝かせてくれるものらしい。禅寺では明け方――我々一般人の感覚ではむしろ「深夜」と言ったほうが近い――に係の僧が走り回りながらチリンチリンと鈴を鳴らして修行僧たちを起こすのが習わしなのだが、ドヤシの次の朝では係の僧があえて“寝坊”して皆を寝かせたままにしてくれるというのだから、なんとも気が利いているではないか(w

人間、ただキツイだけの生活にはどうしても耐えられないものだ。先ほどのうどんの話にしてもそうだが、大事なのは、メリハリである。玄侑さんの話を聞いていると、そのことがよく分かる。

 

さて、ここまで臨済宗の寺での修行風景を垣間見てきたわけだが、僕は「なんだ、これじゃあ曹洞宗とあまり変わらんなぁ」と思った。臨済宗曹洞宗と違って、禅問答をやるんじゃなかったっけ?

この点は玄侑さんも意識していたようで、本著の最後の最後になってようやく、禅問答の話題を取り上げている。

玄侑さんによると、禅問答の内容を外に漏らすことは固く禁じられているのだという。本著では、したがって禅問答が行われる部屋の雰囲気などが描かれるにとどまる。

この禅問答は、かなりの緊張感を伴うものらしい。修行僧たちはあるとき先輩の僧に呼ばれて老師の部屋へと赴くのだが、部屋のなかの老師はものすごいオーラを醸し出しているのだという。

この老師、本著の他の箇所でも登場するのだが、普段は穏やかそうな人物だ。だがこの禅問答の時だけは、緊張感がハンパないのである。

修行僧が満足な答えを出せないと、すぐに帰されてしまう――老師が鈴を鳴らすと「帰れ」という意味らしい。学校でたとえるなら、抜き打ちテストのようなものだろうか。う~ん、そりゃあ緊張するわなぁ(w)。玄侑さんも、禅問答の際には老師にずいぶんと絞られたようである。

曹洞宗に負けず劣らず、臨済宗もシビアなのだ。う~む、ヤだな、禅宗w(;^ω^)

 

まさにサブタイトルのとおり、我々一般人からすれば非常識な話のオンパレード。皆さんもぜひ、本著を読んで禅宗の世界を覗いてみてください。

 

ベラボーな生活―禅道場の「非常識」な日々

ベラボーな生活―禅道場の「非常識」な日々