Furusawa Keisuke's blog

政治から映画、アニメ、将棋まで幅広く語ります。

書評『琉球の時代』

僕は20歳くらいのとき、鉄道で日本全国を旅してまわったことがある。

北は北海道から、南は鹿児島まで。だいたいの都道府県には、足を踏み入れた。むしろ、まだ行ったことのない県を挙げたほうが早いくらいだろう。

秋田、愛媛、長崎、そして沖縄。以上の4県のみだ。

実を言うと、沖縄には行きそびれてしまったのだ。本来ならば、高校の修学旅行でかの県を訪れるはずだったのである。ところが運悪くその年の秋に9.11テロが発生――2001年のことだった――沖縄は米軍基地があるからテロの標的になるおそれがあるし、なにより飛行機という輸送手段それ自体が危ない、というので急遽、訪問先は関西に変更になってしまったのである。

以来、今日にいたるまで沖縄を訪れる機会には恵まれていない。あ~、一度行ってみたいんだけどなぁ……。

 

さて、そんなわけで(どんなわけだ)、本日取り上げる本は、歴史学者・高良倉吉さんの『琉球の時代』筑摩書房である。

「沖縄の時代」ではなく「琉球の時代」というところがポイントだろう。本著は、まだ「琉球王国」と呼ばれていたころの、独立国家としての沖縄の繁栄の歴史を描いている。

 

さっそくページをめくってみる。

……え、ちょっと待ってください。……何コレ? 一体どこの国の歴史ですか??(^▽^;)

う~ん、参った(w

律令国家」とか「室町幕府」とか、日本史の授業でおなじみの用語たちが、これっぽっちも登場してくれないのだ(;^_^A

代わりに出てくるのが、沖縄史特有の「グスク時代」とかいう、まったくもって聞き慣れない時代名である。……え、何ですか? グスク時代って。異世界ファンタジーアニメの用語かなんかですか?(w

このほか出てくるのが、尚巴志とかいう王様――これはかろうじて聞いたことがあったw――や、中国との朝貢の歴史である。

 

どうやらまとめると、こういうことらしい。

沖縄では、だいたい日本の平安・鎌倉時代あたりに、各地に城塞(グスク)が築かれる「グスク時代」へと突入。やがて三つの王国が鼎立する事態になったが、そのうちの中山王国尚巴志王の時代に沖縄を統一。ここに、琉球王国が誕生したのである。

琉球王国は明に朝貢し、その冊封国となった。この時代の琉球王国は、日本よりかはむしろ中国とのかかわりのほうが深く、あぁどうりで例のおっちょこちょいの芸人さんが「沖縄はもともと中国から取ったんでしょ」とか言っちゃうわけだ、と少しばかり納得してしまった(w

 

さて、「朝貢貿易」と聞くと、今日のウェストファリア体制に慣れ切った我々近代人は、なにやらひどく屈辱的な外交関係だったのでは、と思ってしまうが、実を言うとこの朝貢貿易冊封国の側に大きなメリットがあったのである。

この時代の中国は、とても太っ腹であったのだ。

ひとたび冊封国の使者が朝貢のため北京を訪れると、中国側は使者に対し返礼の品をどっさりとプレゼント(下賜)してくれたという。おまけに朝貢のための船まで中国側がプレゼントしてくれたというのだから、なんとも大盤振る舞いではないか(w

それに比べると、今日の“中共王朝”はなんともケチ臭い。麻生さんも言っていたとおり、AIIBなどサラ金同然ではないか。

中国脅威論を唱える保守の論客たちは、「中共は現在の中華帝国」とよく言うが、僕はこれは逆なのではないか、と思っている。中共はむしろ中華帝国の伝統からは断絶しており、だからこそ脅威なのだと僕は思っている。

 

朝貢貿易琉球に、もうひとつのメリットをもたらした。

当時の中国は「海禁」といって、貿易を制限していた。琉球にはもちろん、海禁に従う義理はない。琉球はそこで、朝貢貿易で手に入れた中国からのプレゼントをどんどん海外へと輸出していったのだ。それでガッポガッポ、大儲けである(w)。なにせ海禁政策がある以上、中国は貿易のライバルたりえないのだから。

琉球の繁栄は、中国の海禁政策のおかげ、であったのだ。

琉球は、今日のマレーシアにあったマラッカ王国はじめ、東南アジアの国々と交易をおこなっていた。本著を読むと、この時代の琉球がいかに大胆に海外進出していたかがよく分かり、非常に興味深い。「沖縄=日本の一地方」という認識のままでいると、こうした歴史を見落としてしまう。

しかし、すべてが良かったというわけでもない。那覇港では奴隷貿易が行われていた、という本著の記述は、注目に値する。我々日本人は、奴隷貿易なんて大西洋の話であって東アジアとは無関係、とつい考えてしまいがちだが、事実はそうではなかったのだ。

 

琉球の歴史において必ず触れねばならない英雄が、尚真王である。

彼の時代に、琉球王国の版図は最大となった。その支配は当然、ゲバルト(物理的暴力)に裏付けられたものであった。当時の琉球は階級格差も大きく、王都・首里の人々は豊かだったが、離島の村民たちは非常に原始的な暮らしを営んでいたようだ。

≪従来の研究者の多くは、この民衆の状況に対する視点をまったく欠落させて琉球王国論議してきたのである。こうした議論には共通して、あたかも琉球王国が階級支配を含まない牧歌的な小王国であったかのごとくに説く通弊がある。いうまでもなく、それは完全な誤りであって、琉球王国は階級国家として成立し階級支配を強化する形で尚真王期をつくりあげたのである。≫(268‐269頁)

高良さんのこの指摘は、とても興味深い。

今日、サヨクはことあるごとに「基地のない平和な沖縄を!」などと訴えるが、そんなものは一種のオリエンタリズムではないのか。

実際には琉球王国とて、ゲバルトによって統一を成し遂げたのである。琉球は決して、武器のない平和な島国などではなかった。

当人たちは沖縄のためを思って言っているつもりなのだろうが、この種のオリエンタリズム的な偏見は、ありのままの沖縄を見つめるためにはむしろ邪魔とさえ言っていいだろう。

 

本著を通読してみて、つくづく自分がこれまで沖縄のことを何も知らなかったのだということが、よく分かった。恥ずかしかった。

これからは、琉球王国の歴史に関する書籍を、もっと集中的に読んでみようと思う。