Furusawa Keisuke's blog

政治から映画、アニメ、将棋まで幅広く語ります。

最近見た映画の感想(第222回)

・『マーヴェリック』

とってもコミカルで楽しい西部劇だ。

メル・ギブソン演じる主人公の男と老保安官、そしてジョディ・フォスター演じる詐欺師の女の3人が、化かし合い、化かされ合いながらも、一緒に旅を続ける。

メル・ギブソン、本作では二枚目半の役がとても板についていて、やや意外の感がある。ジョディ・フォスターも、普段はわりとシリアスな役が多いのだが、本作では女詐欺師の役を軽快に演じており、これまたちと意外な印象(;^ω^)

お笑いのテンポが心地よく、2時間の上映時間のあいだ、飽きることがまったくない。

西部劇ではおなじみ、ネイティブ・アメリカンも登場するが、いわゆる「ハ~オ。インディアン、ウソつかな~い」的な“ステレオタイプなインディアン像”を白人の前で演じつづけることにもう疲れた、と主人公の前でグチをこぼすシーンなどもあり、なんとも楽しい(w

 

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・『ナイトクローラー

主人公の男。どうやら、学歴、仕事など、自らの社会的地位に不満たらたらのようである。

そんな彼が、事故現場にパパラッチ的に密着取材し、スクープ映像を撮影、テレビ局に持ち込んで収益を得るという、フリーランス・カメラマンの仕事を知るところから、物語が始まる。

さっそく、自ら撮った事故現場の映像をテレビ局に持ち込む主人公。彼の映像は臨場感があったため、これが契機となり、彼はしだいにフリーランス・カメラマンとして頭角を現していく。

実のところ、被害者宅に無断で侵入するなど、彼のとった手法は法的、倫理的に問題の多いものであった。それでも視聴率至上主義ゆえにテレビ局は彼を重宝、彼はつぎつぎ“出世”していき、その手法もますます過激なものとなっていく……。

主人公の男は、俗に言う「サイコパス」というやつであろう。終始、なんとも言いがたい不快感を観客に与えつづける。最序盤、主人公が顔を見せる場面からして、すでに不快感を与えるほどだ(w)。後半にいたっては、もはや彼の顔を見るのも嫌になってくる(w

だが、観客にそこまでの不快感を与えられるというのは、それだけ主人公役の俳優ジェイク・ギレンホールの演技力が卓越しているという、なによりの証左でもある。

なんでもギレンホール、本作の役作りのために体重を12キロも減量。アドリブで鏡を叩き割る演技をやったことで、手を何十針も縫う大怪我を負ったんだとか。鈴木亮平もそうだが、どこの国にもこういう役者バカって、いるんですねぇ(w

……これは余談だが、本作の主人公を見ていて、「あぁ、ナチスゲッベルスも、もしかしたらこんな感じだったのかもしれないなぁ」と思った。見るからに目つきがギラギラとしたゲッベルスもまた、自らの境遇に不満を抱き、メディアの世界へと飛び込んで、“その才能を開花”させた人物であった。……はたしてそれが人類にとって良かったのかどうかはさて措くとして。

 

 

・『向日葵の丘 1983年・夏』

東京でシナリオライターの仕事をしている、常盤貴子演じる主人公の女性。やがて、かつての同級生が、末期がんにより余命いくばくもないことを知らされる。それを契機に、主人公は彼女との思い出を回想しはじめる。

ここから話は、1983年の静岡の片田舎へと飛ぶ。映画マニアの女子高生であった主人公たちは、文化祭の出し物として自主映画の撮影を始めた。町の人たちの協力も借り、撮影は順調に進んだが、主人公の大学教授の父が「教育に悪影響が出る」として学校側に苦言を呈したため、結局文化祭での上映は禁止されてしまう。主人公は次の年の春に上京し、以来地元との関係は途絶えてしまった。

ひさかたぶりに主人公が帰ってくると、地元の町はすっかり衰退していた。かつて親しんだ映画館も本屋さんも、すべてシャッターを下ろしている。まるで『ニュー・シネマ・パラダイス』のようだ。

病院にて同級生と再会した主人公は、かつて自主映画の撮影に協力した人々は高齢のため亡くなったか、あるいは事業に失敗して不幸になったことを知らされる。かつての甘い思い出がもはや完全に過去のものになったことを悟る主人公。

だが彼女は同時に、自主映画のフィルムを同級生から手渡されるのだ。映画館の建物自体はまだ残っているので、そこでこの映画を何十年かぶりに上映しよう、という話になった。

当日、町の人々の多くがこの映画を見るために集まり、映画館はひさしぶりに賑わいを見せる。かくしてついに、幻の自主映画が日の目を見ることとなる……。

本作は、ふたつの意味で我々に懐かしさを惹起させる。

ひとつは、往年の映画の話題。フランク・キャプラウィリアム・ワイラーアルフレッド・ヒッチコックといった往年の名画の巨匠たちの名前が、登場人物らの会話にポンポン飛び出すのだ。映画マニアなら「あぁ、懐かしい!」と感激することうけあい(w

もうひとつは、1980年代の文物が再現されていること。自主映画のなかでスリラーのパロディをやるのが象徴的だが(w)、それ以外にも学校の男子生徒の会話のなかで、松田聖子派か中森明菜派かというので話題になるのだ。当時青春を過ごした現在年配の方ならば、思わず「嗚呼!」と感激の涙を流すこと、これまたうけあい(w

ラスト、「カネよりも心の豊かさ」を強調する場面はなにやら引っかかるものの、鑑賞後とてもさわやかな気分になれる、そんな映画であった。

 

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・『戦場でワルツを

皆さんは、イスラエルのアニメ映画など見る機会は、まずないだろう。

本作は、イスラエルアリ・フォルマン監督によるアニメ映画である。フォルマンは、先日本ブログでも取り上げた『コングレス未来学会議』の監督さんでもある。

さて、主人公の男、かつて徴兵され、レバノンで戦った経験があるのだが、その時の記憶が不思議と抜け落ちており、このことに悩まされている。当時の戦友たちをいろいろと尋ねるのだが、なかなか記憶を取り戻すことはできない。だが最終的に彼は、あの時レバノンで確かに虐殺はあったと、記憶を取り戻すにいたるのである。

このラストの場面で、それまでアニメだったのが急に実写になり、実際の虐殺の光景が画面に映し出される。我々観客は、言葉を失う。

「日本人は、水と安全はタダだと思っている」というのはよく言われる話だが、イスラエル人にとってはもちろん安全はタダではない――たぶん水もそうだろう。彼らの日常には、つねに戦争が暗い影を落とす。本作を見ていると、イスラエル人にとっての戦争と日常の概念が、私たち日本人のそれとはだいぶ異なることを痛感させられる。彼らにとって、戦争は日常となだらかにつながっているのだ。

余談ながら。本作はアカデミー賞外国語映画賞にノミネートされながら、結局は受賞を逃した。このとき、かわってアカデミー賞を受賞した作品が、日本の『おくりびと』であった。

 

戦場でワルツを 完全版 [DVD]

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・『リップヴァンウィンクルの花嫁』

黒木華演じる、見るからにトロそうな印象の主人公の女。教師の仕事を辞め結婚するが、姑に浮気を疑われたため、この結婚生活は早々と終わってしまう。行くあてもなく途方に暮れた彼女は、綾野剛演じる便利屋のナゾの男に助けを求める。彼は彼女に、とある「バイト」を紹介する。それは洋館で住み込みのメイドとして働く、というものであった。さっそく彼女が洋館へと赴くと、そこにはCocco演じる破天荒な性格の女性がいた。一度すでに彼女と会ったことのある主人公、やがてふたりの奇妙な共同生活が始まった。

主人公の女は、声は小さいしあまりにトロすぎるし、見ていてイライラしてくるほどだが(;^ω^)、それが実は、本作を読み解くうえでのキーとなるのだ。

我々が暮らすこの近代社会は、とかく「トロいこと」を批判しがちだ。そこではかわりに「テキパキ」がもてはやされる。だが、本当にそれでいいのか。なんでもテキパキを要求する近代社会は、それゆえに多くの人々に負荷をかけ、精神的に追い詰めているのではないのか。

ネタバレになってしまうので詳細は伏せるが、Cocco演じる破天荒な女性は、まさにそんな近代社会によって精神的に追い詰められた人であった。そんな彼女を救えるのは、テキパキの反対、すなわちトロい主人公をおいてほかにはなかったのである。

近代において、「トロいこと」は必ずしも悪いことではない。むしろそれは、鋭い批評性を有してすらいるのだ。