Furusawa Keisuke's blog

政治から映画、アニメ、将棋まで幅広く語ります。

書評『イブラヒム、日本への旅』

僕のお気に入りの場所のひとつに、東京・代々木上原にあるモスク「東京ジャーミイ」が挙げられる。

ここは、日本国内における最大級のモスクであり、日々多くの在日ムスリムたちが祈りをささげている。日本では珍しいオスマン様式の建物が、ひときわ目を引く。白を基調とする外観、内装が、なんとも美しい。

敷地内にはケバブの屋台もあり、そこで売られているケバブがまたおいしいんだ、これがw

この東京ジャーミーの前身となったのが、1938年完成の「代々木モスク」である。この代々木モスクの落成式に、本ブログではすっかりおなじみ(w)玄洋社頭山満はじめアジア主義者たちも参列していた、と聞くと、皆さん驚かれるのではないか。

 

本日ご紹介する本は、『イブラヒム、日本への旅 ロシア・オスマン帝国・日本』(刀水書房)である。著者は、中央アジア史を専門とする歴史学者小松久男さん。

タイトルにある「イブラヒム」とは、ロシア出身のタタール人活動家アブデュルレシト・イブラヒム(1857‐1944)のことである。本著は、彼の波乱万丈の生涯を描いている。

 

イブラヒムが生を受けた国は、意外にもロシア帝国であった。

我々日本人は「ロシア=正教の国」と思い込んでいるのでつい見落としてしまいがちだが、ロシア帝国ムスリムの多い中央アジアカフカスなどもその領土内に含んでおり、意外にもムスリム人口の多い、イスラーム大国だったのである。

これは、現在でも同じこと。なにかと戦火の絶えないチェチェン共和国は、ロシア連邦内におけるイスラーム系の共和国である。

このように隠れたイスラーム大国であったロシア帝国だが、それでも基本的にはやはり正教の国であるので、帝国内のムスリムたちは陰に陽に迫害を受けていた。イブラヒムもまた、ロシア帝国の圧制から逃れるべく、世界中を旅してまわった。1908年の大旅行の際、彼がはじめて立ち寄った国が、日本であった。

イスラーム圏から遠く離れたこの東アジアの国で、イブラヒムは、頭山や内田良平など、アジア主義者たちと親交をもった。彼は、異教徒であるはずの日本人の気質がムスリムのそれと共通するところが多い、と感激したようである――僕個人は「ほんまかいな」とこの見解には懐疑的なのだが(;^ω^)。日本のアジア主義者たちもまた、イスラームの同胞のためロシア帝国と戦うイブラヒムを「韃靼の志士」と呼び、敬意を表したのであった。

 

日本のアジア主義者たちは、どうしてイブラヒムはじめ中央アジアムスリムたちに手を差し伸べようと考えたのか。

もちろん、義侠心から、というのもあるのだろうが、同時に、彼らムスリムが戦略的価値を有していたから、という点も見逃してはならないだろう。

日本のアジア主義者たちは、ロシアや中国の領土内に多くの人口を有するムスリムたちが、日本の帝国主義的拡張に貢献してくれるのでは、と考えたのだ。ここには、義侠心とはまったく別の、冷徹な計算がある。

もともとは帝国主義に抗う思想として出発したはずのアジア主義が、結局は日本の帝国主義を後押しする結果となったのは、歴史の皮肉としかいいようがあるまい。

 

……だが、我々はある意味では、彼らアジア主義者たちを見習うべきなのかもしれない。

中国における少数民族自治区のひとつに、イスラーム系のウイグル自治区がある。このウイグル自治区で、中国政府がムスリムたちに対し極めて抑圧的な政策をとっていることは、もはや周知のとおりである。

もちろんムスリムたちにとっては大変な悲劇であろうが、不謹慎を承知であえて言えば、これは日本にとっては“追い風”とも言える。将来、ウイグルでIS――いわゆる「イスラーム国」――のような大規模な宗教紛争が勃発すれば、中国政府は大混乱に陥り、もはや尖閣諸島を狙う余裕などなくなるからだ。

「なんだ、それじゃあ冷徹すぎて、かつてのアジア主義者たちを批判できないじゃないか」と皆さん思われるかもしれない。確かにそうかもしれない。だが、かつてインテリジェンスの世界で活躍した作家の佐藤優さんも言っているではないか。他国の嫌がることをどんどんやるのがインテリジェンスなのだ、と。

なんとも矛盾した物言いに聞こえるかもしれない。実際、矛盾しているのかもしれない。だが我々は、帝国主義への批判的な眼差しを持つのと同時に、この冷酷な国際社会のなかで権謀術数を駆使しつつサバイブしなければならないのである。

 

さて、イブラヒムは、先日取り上げたクォン・デとは異なり、日本に留まることなく、世界各国をいろいろと旅してまわった。

彼が一時期拠点としたのが、イスタンブールである。彼は、カリフを擁するオスマン帝国に、イスラーム世界の精神的支柱となることを望んでいたようだ。だが、帝国崩壊後、トルコはケマル・アタチュルクの指導のもと、脱イスラーム化、国民国家化の道を歩むこととなる。イブラヒムは、いうなればトルコに裏切られたのである。

ところがこのトルコ、現在では再びイスラーム化しつつあるイスラーム諸国のなかにはトルコのエルドアン大統領をカリフに、と望む声すらあると聞く。もしかしたらイブラヒムはおそろしく時代を先取りしていただけで、21世紀になりようやく時代が彼に追いついた、と言えるのかもしれない。

 

イブラヒムは、1933年に再来日した後は、日本におけるイスラームの普及に尽力した。1938年、上述の代々木モスクが完成すると、その初代イマーム(指導者)に就任したのである。彼は、今度はそのまま日本に留まり、1944年、東京にてその生涯を閉じた。彼の墓は、意外にも多磨霊園にあるのだという。

なんだ、もっと遠い人かと思っていたら、案外近いところにいたのだ。今度、彼のお墓を見にいこうかな。

 

イブラヒム、日本への旅―ロシア・オスマン帝国・日本 (世界史の鏡 地域)

イブラヒム、日本への旅―ロシア・オスマン帝国・日本 (世界史の鏡 地域)