Furusawa Keisuke's blog

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書評『岡倉天心「茶の本」をよむ』

最近、アジア主義に関する書籍を、やや集中的に読んでいる。

それらの本のなかで決まって出てくる名前のひとつに、美術評論家・岡倉天心(1863‐1913)がある。

本ブログでは以前、アジア主義の思想家・大川周明の評伝を取り上げたが、その大川の師匠筋にあたる人物が、この岡倉天心であるらしい。

岡倉は、“Asia is one”(アジアはひとつ)をスローガンに掲げたアジア主義者であったが、同時に英語がペラペラでもあり――そもそも上のスローガンからして英語だ――アメリカ・ボストンの社交界ではつねに人気の的であったという。

そんな国際人・岡倉天心が1906年に英語で著したのが、"The Book of Tea"という本である。日本語では『茶の本』と訳される――なんと味気ない邦題だろう!

日本の伝統文化のひとつである茶道を切り口にして、日本文化を欧米人に紹介する、という内容の本だ。英語で書かれたのは、欧米人向けの本であるため。その点、新渡戸稲造の"Bushido: The Soul of Japan"(『武士道』)と共通すると言えるだろう。

岡倉と新渡戸は、同時代人である。当時の日本には、英語の堪能なインテリが多かったのだ――これには当時の漢文教育が関係していると言ったのが、英語学者の渡部昇一さんであった

 

さて、前置きオシマイ。ここからが本題(w

本日ご紹介する『岡倉天心茶の本」をよむ』講談社は、そんな岡倉天心茶の本』を日本語訳して解説も加えたもの。

著者は、田中仙堂さん。大日本茶道学会の会長さんだ。『茶の本』の解説役にはまさにうってつけの人物である。

本著は、ですます調の話し言葉で書かれており、とても読みやすい。だが、「読みやすい≠分かりやすい」というのが、読書ではよくある罠だ(w)。いや、これは田中さんが悪いのではなく元々の著者の岡倉が悪いのだが(w)、どうにも記述が抽象的で、内容が分かりづらいのである。

田中さんもその点は意識していたようで、本著にて、ある大胆な“仕掛け”を施している。

あえて、『茶の本』終盤のクライマックス、利休切腹の場面から解説を始めているのだ。そこから一章ずつさかのぼっていき、最後に第一章を解説している。

どうしてこのような、いささかトリッキーな構成が採用されたのかというと、そのほうが岡倉の言いたかったことがより分かりやすくなるはずだ、という田中さんの考えに基づいているのである。

 

本著を読んでまず驚かされるのが、岡倉の英語力の高さだ。

一例を挙げよう。岡倉は、茶室としての数寄屋を英訳するにあたって“Abode of Unsymmetrical”と表現している。

この"Unsymmetrical"なる語がポイント。田中さんはこう解説している。

≪この言葉は、中程度の英語辞典を引いても出てきません。非対称という意味で一般的に使われるのは、“asymmetrical”という言葉です。わざとどういう意味だと考えさせて、その意味の重さを考えてほしいと思ったのでしょう。“un”という否定の接頭語から、はじめてその単語に接した人もシンメトリーを否定しているのだという意味は理解できます。≫(141頁)

岡倉はここで、あえて一般的でない語を使うことによって、読者に注意を促しているのである。

 

岡倉にとっての困難は、日本どころか東アジア全体のことをまるで知らない欧米人を相手に、東アジアにおける茶道の歴史を解説しなければならなかったことだ。

欧米人は21世紀の今日に至るもなお、東アジアのことをよく知らず、いまだに「東京から北京までバスでどれくらいかかりますか?」と質問する旅行者すらいるほどである。まして岡倉の生きた20世紀初頭にあっては、欧米人に東アジアのことを教えるのは大変な困難を伴った。

岡倉は、そこで、ヨーロッパの喩えをさかんに用いながら東アジアを解説する、という手法を採用した。

たとえば、中国の華北と華南の違いについて説明する場合、彼はそれを、北欧のゲルマン諸国と南欧のラテン諸国の違いと同じようなものだ、というふうに説明している。彼によれば、華北儒教共産主義的、華南=道家思想=個人主義的である。はたしてこうした図式が妥当かどうかは疑問の余地があるが(;^ω^)、東アジアをヨーロッパになぞらえるというやり方は賢明だろう。

それをいうなら明治期の日本人だって、さかんに漢籍に喩えながら欧米の文物を理解したのである。それと同じ、と考えればいいだろう。

このほかにも、古代中国の思想家・老子を「キリストが生まれるよりも五世紀前の人」と説明したり、イギリスのシェイクスピア劇を喩えに用いるなど、さすがはアメリカの社交界に慣れ親しんだ岡倉らしい筆致である。

 

先述のとおり『茶の本』は抽象的な記述が多いため、岡倉の思想を十分に理解できたとはまだ到底いいがたい。が、岡倉の欧米人に対する解説の仕方は、僕にはとても興味深く感じられたのだった。

岡倉の書いた本を、そして岡倉に関する本を、もっと読んでみたいと思った。

 

岡倉天心「茶の本」をよむ (講談社学術文庫)

岡倉天心「茶の本」をよむ (講談社学術文庫)