Furusawa Keisuke's blog

政治から映画、アニメ、将棋まで幅広く語ります。

書評『大西郷遺訓』

戦前、戦後の右翼思想家・活動家たちがこぞって持ち上げるのが、今年の大河ドラマの主人公・西郷隆盛である。

頭山満は「右の籠に西郷さんを入れ、左の籠に一億人を入れてそれを天秤棒で担ぎ上げたら、どちらが重からうかネ」とさえ言っていた。

西郷は、どうしてこれほどまでに“モテる”のだろう?

山本七平さんは「日本教の殉教者だから」だと説明していた。葦津珍彦さんは、永遠の維新者だからだ、と書いていた。

本当のところは、さてどうなのだろう。西郷について、もっと知りたい。

 

というわけで、本日ご紹介する本は『大西郷遺訓』中央公論新社である。

『大西郷遺訓』――『南洲翁遺訓』とも――は、かつての庄内藩藩士たちがはるばる鹿児島まで赴き、西郷のもとを訪問した際に、西郷が話したことをまとめた書物である。

本著にてそれを現代語訳・解説してくれているのが、文芸評論家の林房雄さん(1903‐1975)だ。林さんは、マルクス主義の力が強かった1960年代にあって『大東亜戦争肯定論』を著したことで知られる、保守派の論客である。かの三島由紀夫と親交があったことでも知られる。右翼にとっての永遠のあこがれ・西郷隆盛の解説役には、うってつけと言えるだろう。

 

そういえば、大河ドラマ『西郷どん』では、相撲が象徴的な意味を帯びており、OPも鈴木亮平演じる西郷が子供たちと相撲を取る場面から始まっていたっけ。

こう言うと大げさに聞こえるかもしれないが、読書とはつまるところ、読者と著者との知的格闘にほかならない。

よっしゃ、おいどんもひとつ、西郷どんと相撲をとるつもりで本著を読んでみるでごわすか!(似非薩摩弁)

 

……と意気込んではみたものの。

う~ん、やっぱり、かなわない(w

西郷は、やはり人格者だ。さすがはリーダーだ――そう思わずにはいられなかった。

彼は、たとえば、人間には「君子」(エリート人格者)と「小人」(凡人)がいるとする。君子こそ、政治的リーダーにふさわしい。では、そうではない小人に生きる価値はないのか?

もちろんそうではない。小人は、要職こそ向かないものの、それぞれちゃんと能力を発揮できる場がある。そういう場に彼らを据え、その能力をいかんなく発揮させること、すなわち適材適所こそが求められるのである(第四章「人材」より)

西郷の言うことは、僕にはとても腑に落ちる。僕個人の経験から言わせてもらうと、いわゆるブラック経営者が駄目なのは、この適材適所ができないことだ。反対に、適材適所ができるのが、ホワイト経営者である。西郷は、よい経営者になることもできたであろう。

 

一見すると時代遅れのようにも思えるが、ちょっと見方を変えれば現在でも通用する、という主張もある。

たとえば西郷は、政治の根本大要は、学問を興すこと、武(尚武の心と武備)を振起すること、そして農業を奨励することの三つであるとしている(第二章「政事」より)

「へ!? 農業?」と我々現代人は面食らってしまう。解説役の林さんもさすがにこのままでは現代に通用しないと考えたようで、以下のように解釈している。

≪明治初年の発言であるから、この場合の農業は今は工業商業貿易の産業一般を含ませて考えるがよい。農を偏重すれば、農本主義に逆行する。今なお農本主義を唱えている人物もいるが、それは日本を農業国にかえして維新前の三等四等国にするという占領政策のワナにおちいることになる。≫(27頁)

なるほど、そう解釈すれば、西郷の言葉は今日でも通用する。

 

……うーん、いかんいかん、「西郷どんと相撲をとるぞ」と息巻いてはみたものの、なんだか負けてばっかだなぁ(w

行き過ぎた自己愛をたしなめる箇所(第九章「自愛と驕慢」)などは、僕の心にグサリと突き刺さってくる。

でも、負けないぞ。

 

西郷には、贅沢を嫌い、清貧を重んじる傾向がある。彼の発想は緊縮財政と親和性があり、今日のいわゆるリフレ派とは相容れない、と僕は思っていた。

ところが本著をよく読んでみると、彼は重税を批判しているではないか(第三十六章「租税」)

≪租税を薄くして民を裕にするは、即ち国力を養成するなり。故に、国家多端にして財用の足らざるを苦しむとも、租税の定制を確守し、上を損して下を虐げぬものなり。≫(151頁)

この箇所を、林さんは以下のように訳している。

≪税金を軽くして、国民を豊にするのは、国力を養成する基である。故に、国家の政務・事業が多くて費用の不足に苦しむ場合も、税制をむやみに改めることなく、やむなく増税する時も、富める者から多く取り、貧しい者を虐げるようなことはしてはならぬ。≫(151頁)

これなどは、まさしく現代において求められていることではないか!

「消費税を10%に引き上げろ!」などと乱暴なことを言う輩が政財界には多いが、そんなことをすればますます貧困層が苦しむことになる。西郷の上の言葉は、今日でもなお生きている。というか、今日に至っていよいよその輝きを増しつつあるのである。

 

あ゛~、ダメだ、やっぱり西郷どんに勝てる気がしない(w

だが、いや待てよ。気になる箇所を見つけたぞ。

西郷は、新政府の指導者たち――おそらくは大久保などを念頭に置いているのだろう――が住居を飾り服装を華美にし、贅沢三昧していることを批判している(第三章「地下の同志」)

今日でも、「安倍が大雪のときに天ぷら食ってたのがけしからん、麻生のスーツが高いのがけしからん」と、僕に言わせればツマラナイ批判をする輩は多い。

僕などはむしろ、こう問うてやりたい。

「権力者が贅沢をしては、どうしていけないのか?」と。

良いではないか(w

権力者が贅沢な暮らしをしていれば、下層階級出身の若者が「よし、おれも将来成り上がって、ああいう贅沢な暮らしをするぞ!」と動機づけられることだって、ありうるではないか。

さきほどの天ぷらの話にしても、総理大臣が天ぷらを食べて何が悪いのか、と僕は不思議に思ったほどだ。僕に言わせれば天ぷらなどはむしろ庶民的な料理であって、総理大臣たるもの、もっと豪華な食事をとればいいのに、とさえ思ったものだ。

 

あ、もっと気になる箇所、見つけた(第三十八章「財政」)。

≪会計出納は制度の由って立つところ、百般の事業みなこれより生じ、経綸中の枢要なれば、慎まずばならぬものなり。その大体を申さば、入るを量りて出るを制するほか更に他の術数なし。歳の入るを以て百般の制限を定め、会計を総理する者、身を以て制を守り、定制を超過せしむべからず。≫(156頁)

現代語訳は

≪国の会計出納、予算財政は制度の運営の根本であって、すべての事業はこれより生じ、国家経営の中心であるから、よほど慎んで扱わねばならぬ。これを一言で言えば、入るを量って出るを制することであって、ほかに術策などというものはないのである。歳入の額によってすべての支出の限度を定め、財政の局に当る者は身をもって制限を守り、定められた額を超過せしめてはならぬ。≫(156頁)

これぞ緊縮財政! 20年来この国を苦しめつづけてきた元凶そのものではないか!!

わははは、西郷、破れたり!www

 

……って、イカイカン(;^_^A こうやって「自愛と驕慢」にとらわれてばかりいるから、僕はいつまでたっても「小人」のままなのだろうなぁ。反省。

 

さて、本著を読み終えて、あらためて思ったこと。

西郷は、やっぱり大きい。

これは「男が惚れる男」だ。僕は、以前は西郷にあまり関心がなかったのだが、最近にわかに好きになってきた。

林さんによると、三島由紀夫も当初は西郷嫌いだったのが、次第に好きになっていったらしい。三島は『銅像との対決――西郷隆盛』という本のなかで、こう書いているのだという。孫引きになってしまうが、引用してみよう。

≪「恥ずかしいことですが、実は最近まで、あなたがなぜそんなに偉いのか、よくわからなかったのです。……私にはあなたの心の美しさの性質がわからなかったのです。(中略)私はあなたの心に、茫漠たる反理性的なものばかりを想像して、それが偉人の条件だと考える日本人一般の世評に、俗臭をかぎつけていたのです」≫(97頁)

三島は、ああ見えて意外とひねくれ者であったから、西郷のまっすぐな心がなかなか理解できなかったのだろう(僕もそうだ)

そんなひねくれ者の三島さんをも敬服させてしまう――やっぱり西郷どんは、すごか男じゃ。

 

大西郷遺訓 (中公クラシックス)

大西郷遺訓 (中公クラシックス)