Furusawa Keisuke's blog

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書評『宗教は人を救えるのか』

先日は、五木寛之さんの長編歴史小説『親鸞』を取り上げた。

本日ご紹介するのは、その親鸞が開いた浄土真宗の僧侶・釈徹宗さんによる著作、『宗教は人を救えるのか』(KADOKAWA)だ。

 

本著はまず第一章にて、「世界の宗教が老いをどのように捉えているか」という話からはじめる。

我々は、若さを尊び、老いを嫌がる。美容の世界でアンチエイジングが流行っているのも、そのためだ。そんなの当たり前のことだと思うだろう? ところが。

世界には、老いをかならずしも悪いこととは考えない宗教もある、と釈さんは言うのだ。例えば、儒教儒教には、加齢をむしろ良いことと捉える傾向があるのだそうだ。老いを嫌がるのは、したがって人類にとっては必ずしも普遍的な反応ではない、ということになる。

 

本章において、釈さんは宗教の話だけでなく、個人の具体的なエピソードについても取り上げている――僕にとってはむしろ、そちらのほうが興味深かった

たとえば、ALS筋萎縮性側索硬化症を発症した甲谷匡賛さんの話。実に、壮絶な体験談だ。こんな人がいたのか、と驚いた。同時に、もし自分が彼の立場だったら……と思わずにはいられなかった。皆さんにもぜひ読んでもらいたい箇所だ。

 

続く第二章は、「『死』の悲しみを引き受けていくために大切なこと」と題されている。

こちらも、個人の具体的なエピソードが印象深かった。宗教学者・岸本英夫さん(1903‐1964)の話である。

岸本さんは、宗教について熱心に研究を続けながらも、自身は特定の宗教・宗派に属さないという立場を堅持しつづけた。宗教に関する著作も多い社会学者・小室直樹さん(1932‐2010)とも通じる態度だ。

そんな岸本さんは、50代のとき、自らの身体がガンに侵されていることを知った。それから亡くなるまでの約10年間、彼は死と向き合い続け、多くの著作を世に出した。彼の生きざまもまた、先述の甲谷さんの話同様、我々読者の心を強く打つ。

 

第三章は、「『あきらめる』心構えを『六波羅蜜』に学ぶ」というタイトル。仏教において菩薩が修めるべきとされる六つの実践徳目「六波羅蜜」から、あきらめることの大切さについて学ぶ、という内容の章である。

最後の第四章「身近な悩みに、仏教はどこまで寄り添えるのか」は、以前釈さんが雑誌上で連載をもっていたときに読者から投稿された質問について、あらためて釈さんが答える、というかたちになっている。仏教僧・釈さんの意外にも怒りっぽい一面が明らかになるなど、これはこれで面白い箇所だ。

 

さて、本著巻末では、釈さんと、多村至恩さんという女性の浄土真宗僧侶との対談も掲載されている。

ここでのテーマは、現代の宗教儀礼について。ふたりによれば、昔の葬式には地域共同体による「手作り感」があったが、今ではもはや葬儀一式、すべて業者にお任せ。そういうケースが、バブル期あたりから一気に全国へ広がったのだという。

なるほど、言われてみればたしかにそうだ。今年の3月、横浜に住む伯父が死去したのだが、その時の彼の葬儀も、やはり業者さんがすべて粛々と執り行ってくれた。

このような時代にあって、僧侶が果たすべき役割とは何だろう――ふたりは議論を続ける。

 

全編を通して見ると、仏教本にありがちな「モノの豊かさより心の豊かさ」的な言説が若干気にはなるが(w)、それでもやはり面白い。映画通の釈さんらしく、本著でもまた例によって、お葬式に関する国内外の映画をいくつか紹介してくれるのがうれしい(w