Furusawa Keisuke's blog

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書評『イスラムとロシア』

先日は、山内昌之さんによる評伝『スルタンガリエフの夢』を取り上げた。

共産主義者にしてムスリム、という異色の革命家の生涯に迫った著作であったが、彼の晩年に関する記述は、意外にも極めてあっさりとしたものであった。

「え、これで終わり?」

と拍子抜けした読者も多いかもしれない。もちろん、著者の山内さんが途中で書くのがめんどくさくなって投げ出してしまった、というわけでは決してないw(;^ω^)

実をいうと、『スルタンガリエフの夢』はまだソ連が健在であった1986年に書かれた本なのだ。最終的にソ連当局によって処刑された――あ、やべ、ネタバレしちゃったw――スルタンガリエフに関する史料は、当時まだ十分には公開されておらず、山内さんはごく限られた史料によって彼の評伝を書くよりほかなかったのだ。

その後、1991年にソ連は崩壊、スルタンガリエフに関する史料は続々公開されるようになった。一方、旧ソ連圏における民族対立は激化の一途をたどり、民族に注目したスルタンガリエフの問題意識があらためてアクチュアルなものとして注目を集めるようになった。

こうしたことから、山内さんはスルタンガリエフに関する著作をあらたに書くことを決意したのである。

 

前置きが長くなったが、本日ご紹介する本は、『イスラムとロシア その後のスルタンガリエフ東京大学出版会。サブタイトルから分かるように、『スルタンガリエフの夢』の続編という位置づけで書かれた本である。

 

本著では、新史料の公開によって今まで以上に明らかになった、スルタンガリエフの生涯があらためて語られる。とりわけ彼の後半生、すなわち党中央との対立や処刑にいたる過程が詳しく述べられている。

本著はまた、ソ連崩壊後に顕在化した民族対立の様子を、スルタンガリエフの生涯と並行して描いていく。

70年余りの歳月を経て、彼は甦ったのだ。

 

本著を読んでいて興味深いと感じたのは、差別される弱者のなかにもさらに差別される弱者がいる、ということだ。

先日も書いたとおり、スルタンガリエフタタール人であり、タタール人がロシア人によって差別されているという事実を、ロシア帝国ボリシェビキ政府に告発しようとしたのであった。この構図において、タタール人は差別される弱者である。ところが……。

タタール人は、ウラル山脈の西側、ロシアにとっての内地に居住している。一方、ウラル山脈の東側、中央アジアにもイスラーム系の民族が多く暮らしている。本著によると、“内地”に住むタタール人は、彼ら中央アジアイスラーム系民族に対し「上から目線」で振る舞う傾向があり、スルタンガリエフとてこうした偏見から必ずしも自由ではなかったというのだ――もっとも、スルタンガリエフにこうした傾向への自覚はあったらしい

本著ではジョージア(旧グルジアの例も挙げられる。ジョージア人は、ロシア人と比較すれば弱小民族であるが、ジョージア国内における少数民族、アブハズ人やオセット人から見れば、ジョージア人は抑圧的な大民族である。僕は以前ジョージアを旅したことがあるから、よく分かる。

あるいは読者のなかには、沖縄を連想する方もいるかもしれない。沖縄県はヤマト(本土)から差別されているとよく言われる。だがその沖縄県のなかでも、本島と先島諸島とのあいだには差別構造が存在するのだ。

このように、マクロの視点で見ると被差別者だが、ミクロの視点で見ると、その被差別者がさらに差別者と被差別者とに分かれる、ということがありうるのである。

 

話をスルタンガリエフに戻そう。

彼はボリシェビキ政権に対する反抗的姿勢ゆえに党中央の恨みを買い、ついには逮捕・収監されてしまう。彼の収容所での生活は、ソルジェニーツィン『収容所群島』を思い出させる。1940年、この型破りの共産主義者は、皮肉にもソ連当局の手で処刑されたのであった。

スルタンガリエフは、革命家としての大胆な言動の一方で、非常に繊細な一面も兼ね備えていた。タタール人であるためか、顔つきがアジア的で日本人ともやや近い――若い頃の彼は、なんとなく松山ケンイチに似ていなくもない

彼に関する書籍を二冊、立て続けに読んで、僕はこの共産主義者民族主義者に、意外にも親近感を抱くようになった。