Furusawa Keisuke's blog

政治から映画、アニメ、将棋まで幅広く語ります。

書評『愛国と信仰の構造』

本ブログではこれまで、政治学者・中島岳志さんの著作をたびたび取り上げてきた

彼の本を読んでいて興味深いなと感じるのは、日本の戦前の右翼への関心と、宗教とりわけ仏教への関心が、彼のなかでは同時に存在していること、しかも単に並立しているのではなく、互いに結びついているらしいことである。

僕自身、戦前の右翼や日本の仏教には強い関心を持っているので、中島さんとは興味の対象がかなりの程度、重なっていると言える。

 

本日取り上げる『愛国と信仰の構造 全体主義はよみがえるのか』集英社は、そんな中島さんと、宗教学者島薗進さんのふたりによる対談本である。

「愛国と信仰」というタイトルからして良いではないか。中島さんの興味対象を一言で言い表している。

 

本著の記述でまず目を引くのが、親鸞が戦前の右翼に影響を与えた、という話だ。

「え、親鸞? 日蓮の間違いじゃなくて?」

と驚かれた方もいるかもしれない。

そうなのだ。普通、戦前の右翼に影響を与えた仏教者というと、日蓮がまっさきに思い浮かぶ。北一輝石原莞爾などは、法華経ないし日蓮主義に深く帰依していたからだ。

日蓮と比べると親鸞は、一見するとあまり政治とは関係がないように思える。ところが。

親鸞の教えのなかで重要な概念のひとつに、「他力」がある。親鸞は、「自分の力でなんとかする」という「自力」の姿勢を排し、ただひたすら阿弥陀如来にお任せするという「他力」の姿勢を重んじた。

この「他力」の発想を、戦前の右翼は大胆にも、阿弥陀如来天皇に置き換えることによって、政治思想のなかに組み込んだのである。

北や石原たちが考えているような「より良い社会を設計して難局を乗り切ろう」という発想は「自力」であり、排されなければならない。大事なのは、天皇陛下にすべてをお委ねするという「他力」の発想だ――こういう考えへと行き着くのである。これを実践に移したのが、三井甲之をはじめとする原理日本社の人間たちであった。

意外な思想が、意外なところに、影響を及ぼしていたのである。

 

本著ではもちろん日蓮主義も取り上げられ、こちらは北、石原などの設計主義的な発想と親和性があったことが指摘されている。

一口に右翼といっても、ただひたすら天皇陛下にお委ねするグループと、設計主義的な発想でもって大胆な社会改造を目指すグループのふたつに分かれ、それぞれが、親鸞日蓮から影響を受けていたというわけなのだ。

 

※余談ながら。中島さん、島薗さんの話は親鸞日蓮で終わっているが、では道元ないし禅宗はどうなのだろう。禅宗は右翼に影響を与えたのだろうか? 僕は道元が好きだから、この点がすこし気になる。

 

本著前半では、このように戦前の右翼が主に語られる。では後半はどうか。こちらでは、戦前ではなく21世紀の今日の日本が語られている。

……率直に言うと、ここから先のふたりの見解には、疑問がある。彼らの対談は、宗教に関する箇所は面白いのだが、時事問題に話が移るととたんにサヨク的な議論になってしまうのだ。

たとえば、島薗さんに言わせると≪NHKはじめマスコミがかなり統制されてきています。それこそ戦前が戻ってきたとも言えるし、中国のメディア状況のようでもあります。≫(253頁)となる。だが「マスコミがかなり統制されてきて」いるのなら、昨今のいわゆる「モリカケ報道」は、アレはいったい何だというのか。モリカケ報道こそ、マスコミが安倍政権にとって一番の「抵抗勢力」であることを物語る、なによりの証左ではないのか。

「中国のメディア状況のようでもあります」という箇所も気になる。これは彼らにとっては共通認識のようで、中島さんも今の中国は戦前の日本に似てきたと指摘している(229‐230頁)。これは、以前取り上げたスピルマンさんの見解とも共通する。だが中島さんたちは、一方で日本もまた戦前へと回帰しつつあり、日本と中国が似た者同士になりつつある点を強調するのである。

 

……僕に言わせると、中島さんたちの議論には、経済に対する認識が欠落している。

確かに現在の日本は、ある意味では戦前と似ていると言えるのだ。だがそれは、「安倍ファシスト政権云々」とか「日本を戦争へ導く安保法制云々」といった話とは関係がない。

実のところ、戦前の帝国陸海軍に相当する組織は、今日の日銀と財務省であり、彼らの暴走によって日本は長い戦争=デフレに巻き込まれたのだ。そして、彼らと結託しているのがマスコミであり、オピニオン・リーダーたる評論家たちである。彼らが日米開戦や消費増税を煽ったせいで、この国は瀬戸際に立たされたのだ。

さきほどのモリカケの話を思い出してほしい。マスコミは安倍政権からの統制など受けていない。彼らはむしろ、官僚のほうと結託し、その統制下に入っていたのだ。

一方、安倍首相は民主主義によって選ばれたリーダーであり、軍部=官僚によって引き起こされた戦争=デフレから脱却しようと試みている。安倍首相はむしろ「戦前を繰り返させない」側にいる人物なのだ。

 

……ここまで、中島さんたちの議論を批判してきたが、それでも本著は全体を通して見ると、やはり面白い。僕が中島さんに惹かれるのは、まさに彼のライフワークが「愛国と信仰」の研究にほかならないからだ。

さまざまな本を読んでいると、日本という国と仏教という宗教は、実に密接につながっていることが分かってくる――釈徹宗さんの『おてらくご』はまさにそれをテーマにした本であった。読んだ当初はいまいちピンとこなかったが

日本について知りたいと思ったら、まず仏教について知る必要がある。このことに気づいたからこそ、今、僕は仏教について勉強しているところなのだ。

いや、仏教だけではない。戦前のアジア主義者のなかには極めて宗教的な実存を持った人たちが大勢いた。彼らの内面に迫るには、やはり仏教をはじめとする世界の諸宗教について勉強する必要がある。

中島さんは、僕にとっては人生の先輩ともいうべき、そんな存在である。